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レビュー一覧 (58件)
山口の駑馬さんの投稿レビュー/山陽小野田市立中央図書館
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41. MMT〈現代貨幣理論〉とは何か 日本を救う反緊縮理論
KADOKAWA 2019.12
島倉原
山口の駑馬 さんの評価:
経済学を学んだ事は無かったが、「資本主義の預言者達」と合わせて読むと経済学の流れが見える。
衝撃は、1997~2016年の世界の経済成長率と財政支出の伸率の関係。
統計的な相関式は、経済成長率=0.936×財政支出伸率+0.003(r2=0.92)。
金融政策は経済成長に繋がらないという事実。
財政支出の伸率は経済成長の93%を占めるという事実。
ケインズ「貨幣論 貨幣の純粋理論」の貨幣観が出発点。
新古典派経済学の貨幣観と天地の差がある。
GDPの2倍の借金を抱える日本が破綻しない理由をMMTが解説する。
誰かの赤字は、誰かの黒字。即ち政府の赤字は、民間の黒字。
1997年以降の緊縮財政で、財政支出の伸び率は0%の日本。
日本の産業は新陳代謝が進まず、国際競争力が落ちて経済成長が止まっているという常套句。
以下私見。
需要が増えない限り、投資は生まれず、経済成長はしないと言う当然の帰結。
需要を増やすのは、金融政策でも、生産性を上げる事でもない、財政支出。
需要を増やすのは消費者の懐。この懐に、財政支出をした結果、民間に投資が生まれ経済が成長し、デフレを脱却できるのでは。
デフレ下で生産性を上げれば、人はあまり非正規雇用は増加し、懐は益々寂しい。
益々消費が下がり、益々投資はなくなり、金だけがあまり金利が下がり、株だけが上がる。株が上がっても、需要が増えない限り、デフレは続く。
今回のコロナ支給が、起爆剤にならないか?
税収入で支出を賄うという一部の経済学派と対抗するMMT。
アベノミクス①=大胆な金融政策で、デフレ・円高からの脱却=金融感は円安を生んでも、経済成長には結びつかず、デフレも脱却できない。
アベノミクス②=機動的な財政支出=財政支出の為に、消費税を上げると言う愚策。
デフレ下で、消費税を上げれば需要は下がり、デフレが続く。
アベノミクス③=民間投資を喚起する成長戦略=②に同じ。民間投資を喚起するには、需要を増やす財政出動だけ。政府は金を刷れる。
政府と家計を混同する。支出が収入を超えてはいけないと言う家計と、金の刷れる政府を同一視する思考停止。
租税を提供されるサービスの対価と見なせば、「公平」か否かを計算し始める、私益民主主義。
政府が公益の為に果たし得る役割を前向きに認め、こうした制度を共同体の一員として支える行為が納税という公益民主主義。
「国家の存在を否定的捕える風潮」が蔓延する日本人の思考回路は何処から?
改めて、GHQの戦略の怖さを感じる。
米史観のみの学校教育、NHKのドキュメントによる米史観プロパガンダが、
史実を多様な立場で見る事を止め、国民の思考を停止させ、歴史の教訓を間違えさせている。
コロンブスはアメリカ大陸を「発見」したという歴史観を学ぶ子供達。
だが、インディアンの住む土地にた辿り着いただけと言うのが史実。
モンゴル軍がボルガ川を「発見」したとは言わない歴史観を習う子供達。
インディアンから見れば、勝手に入りこんで、インディアンを虐殺しまくり、
勝手に土地を略奪したのが史実。
史実は多様な視点で見なければ、全貌は見えない教訓。
国家があって初めて、社会保障・経済・平和で平穏な暮らしが出来ている事を忘れ、天から降ってくるのが当たり前というお花畑の日本人。
日本軍=悪、日本国民=被害者だったと言う心地よさに浸り、
日本という共同体のため、家族のため、子孫のために戦って死んでいった人々に
誇りと尊敬を忘れ、「可愛そう」で済ます教育。
愛国心=軍国主義に繋がるとプロパガンダ教育され、「公」を優先する事が悪の様に刷り込まれる。
「公」より「私」が優先すれば、共同体は崩壊するしかない。学校を考えれば容易に想像できる。
この教育が、多様な歴史観を否定し、国際社会を見る目を歪め、民主主義国家の軍隊を見る目をも歪める。
「軍人が政治家になってはいけない本当の理由」や「自衛隊失格」を読めば、
その歪みが見える。
「マダムセクレタリー」での言葉
名を残す英雄は多いが、国家や社会の細やかな真実を言えば、
多くの成功は匿名だ。名もなき人たちが偉大な功績を残している.
今も、名もなき人々が、誰かの為に命を掛けている。
経済学を学んだ事は無かったが、「資本主義の預言者達」と合わせて読むと経済学の流れ...
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42. 「アメリカ抜き」で世界を考える
新潮社 2006.1
堀武昭 著
山口の駑馬 さんの評価:
米と此れを利用するイスラエルの覇権主義に対する「非覇権主義」の道を模索。非覇権主義の代表としチェコのハベル、ヨルダンハッサン王子、南アのデ・クラークの言葉を検証し解を求める。
「力」ではない、国家・領土を無くした世界市民の形成、人間性の確立、市民の意識が必要だと。
著者は、国際社会で活躍された方であるにもかかわらず、根本を間違う典型的な「お花畑」の日本の似非知識人と感じた。
人間に真摯に向き合い、集団の中で生きると言う基本をベースに立たなければ、経済学も社会学も机上の空論となる。
人が集団で生きる以上、必ず指導者が必要となり、それを実行する組織が必要となる。これが「力」。これが、小さなコミュニティーでも、国単位でも、世界組織でも必須という事を忘れている。
戦国時代が終わったのも、大きな力が出来たからという歴史の事実。
我々が日常を平和に暮らせるのは、警察と言う絶対的に強い暴力装置があるからと言う事実。警察と言う力が弱まれば、我々は平和に暮らせるのか考えれば、国際社会も同じだと気付くはず。
此処に生まれる指導者が善人であれば・・・、私利私欲の人であれば・・・、組織の中の人が全て善人であれば・・・
即ち、全ての人間が善ではないという事実に目を閉じては幻想となる。
同時に、我々には「善人」だけを選ぶことなども出来ないという事実に目を瞑ってはいけない。
共産主義と言う理想も、人間を見なかったために悲惨な国になった歴史の教訓に目を瞑ってはいけない。
ヘレンミアーズが1948年に書いた「アメリカの鏡・日本」は、史実を一方向からみた現代日本の歴史観(米史観)に一石を投じている。
史実は多様な視点に立ってみなければ、全貌は見えない。
静岡から富士山を見て、甲府側からは見ずに全貌を語るのが、今の日本の近代史教育とNHKを始めとするマスコミの似非知識人たち。
更に悪なのは、甲府側から眺めると、「軍国主義」だとタブー視し、国民や子供たちを思考停止に陥らせる。
米の2枚舌に気づき、覇権主義を批判、「力」を否定する。
が、「力」を否定した時点で、矛盾に陥っている事に気づいてない。
著者が書いている「米が金科玉条とする民主主義と人権主義こそ「正義の源泉」と信じていた。」という文言の方がガッカリ。
日本の戦後の近代史教育の歪みが見えてしまう。
著者の青春時代は、まだ戦中派の方々が生きていただろうに、なぜか米史観のみに覆われ、米の2枚舌に気づいたにも関わらず、この米史観から抜け出せないのか?
元々、反米はわずか昭和15~20年で、それ以前は欧米文化に憧れていた日本人。
戦後の、飢えた日本が米のモノ文化に憧れ必死に頑張り豊かになる過程で、これが民主主義と勘違いしてきた。
大きな「力」に成れない国々は、此の下で「存在感」を増し、覇権主義に対抗する以外に道は無い。
この「存在感」を増すには、狭量な歴史観からは生まれない。
史実を多様な立場で眺めてこそ、初めて歴史の教訓に気づき、未来を見据えることが出来る。
考えて欲しい。米大陸を「発見」したという歴史教育。すでに住んでいたインディアンの目線は無視されている。モンゴル軍がライン川を「発見」したと表現しない歴史教育。
秀吉の宣教師に対する詰問状を説明せずに、キリシタン弾圧を語る歴史教育。
黒船により突然世界のメジャーリーグに引き込まれた明治の人々。ルールも判らず、負ければ植民地とう国際社会。必死に頑張り独立を守る。
一次大戦後、英の維持した世界秩序の崩壊と平和主義と言う既得権益を確定した新たな国際ルール。不況で身動きできなくなった日本は新たな経済圏の確立のため満州帝国を作り、5族協和を謳いフロンティアを求める。裏庭を制圧し門戸開放せず、地球を半周もして門戸開放を主張する米。インディアンの撲滅と同じ手口で、蒋介石を傀儡に、日本を追詰める。座して植民地か、一死報いるか。歴史に共感してみよう。
キリスト教を背景に歴史を育んだ社会、イスラム教を背景に歴史を育んだ社会、多神教を背景に歴史を育んだ日本。
「欧米=正義、日本=悪い」が幻想であり、戦後日本のNHK・マスゴミが植え付けたプロパガンダに過ぎないと気付く
宗教の軛から未だに抜け出れない欧米社会・イスラム社会。宗教の軛を持たない日本。
ルトワック著の「日本4.0」では、徳川の平和・明治の変革・戦後の復興、次がver4.0の日本を期待する。
少なくとも、現在の延長線上にあるのは弱肉強食の世界でしかない。
この本の中で、仏の農民ジョセボベの言葉に納得。
農業を中心とした経済システムを作り上げ、自給自足体制を確立しようという言葉。
米と此れを利用するイスラエルの覇権主義に対する「非覇権主義」の道を模索。非覇権主...
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43. 逆説の日本史 22, 明治維新編 西南戦争と大久保暗殺の謎
小学館 2019.5
井沢元彦
山口の駑馬 さんの評価:
補遺編のみ。
記紀に大和言葉として呼び名が存在する「銅鏡」・「銅剣」・「銅矛」。だが「銅鐸」は近世に名づけられた名前。記紀にも乗らず、
本来の大和言葉も判らない。消された銅鐸の文明から、日本の歴史は「穢れ忌避」・「言霊信仰」・「怨霊鎮魂」から成り立つという。
歴史を成り立たせる背景が面白い。権威と呼ばれる歴史学者の矛盾を突く。
なぜ天皇と幕府は両立できたのか?に応える。
日本社会の稟議書の不思議など、幾つかのテーマを補編している。
日本の歴史の理解が深まる事間違いなし。
補遺編のみ。記紀に大和言葉として呼び名が存在する「銅鏡」・「銅剣」・「銅矛」。だ...
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図書
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44. 軍人が政治家になってはいけない本当の理由
政軍関係を考える 文春新書 1144 廣中 雅之‖著
文藝春秋 2017.10
山口の駑馬 さんの評価:
民主主義国家の軍隊に対し、米英を参考にしながら日本の現状を分析した良い図書だった。
以前読んだ纐纈の「文民統制」とはレベルが違い過ぎる。
改めて、この大学教授の纐纈に学ぶ学生を可愛そうだと思う。
国が持つ固有の歴史と文化のを通じ、「政軍関係」を研究し模索する事は、過去の問題では無く現在および未来の問題であるという。
東日本大震災で、非常時の地方自治体の機能が極端に低下する事を想定してないために自衛隊活動が著しく低下してしまう状況が発生。
また、当時の政治指導者と自衛隊指揮官との信頼関係の無さが、問題提起の契機となっている。
民主主義国家の軍隊は、憲法および国内法制の下で、国家機能の中に国防組織として明確に
位置づけなければならない。これにより軍政策に関わる権限と責任を国家機能の中で誰がどこまで負うかを
明確にするべき。
民主主義国家における「政政関係」の第一は、政治指揮者と軍指導者の信頼関係の構築が必須であり
初めて、軍指導者の軍事専門性が生かされる。
軍の指揮者は、軍事専門性をただ只管追求し、決してここに政治判断を加えてはいけない。
かつ、選挙で選ばれた政治指導者に絶対服従である。これは政治指導者と軍指導者が、民主主義を理解する事でできる。
プロシア以前は、為政者による恐怖と罰で軍を統制していた。
民主主義国家の「文民統制」は、政治指導者が軍の指揮者を人事上の恐怖や処罰で、強制力を行使する事では無い。
但し、政治指揮者は、些かでも軍指揮者を信頼できないと判断すれば、躊躇なく更迭すればよい。
米英では、軍の支持率は、90%近くあり、政権の支持率より常に高く、国民の信頼を得ている。この理由は、
軍は、政治的に中立で、主義主張を超え、「国民の軍隊」である事を、国民が知っているという。
ただ現在は、米では退役将官が、大統領選の候補者を推す事で国民の支持を集めると言う政治利用が起こり始めている。
(私見)
日本でも自衛隊の支持率は、政権の支持率より高いのでは?と考えてしまう。
単にマスコミや自虐史観で教育された人々が、この信頼関係を崩そうとしている様に見えてしまう。
日本では、安全保障に関わる「公正で健全なジャーナリズム」が無く、軍はトラウマにされてしまい、
軍に関する教育がタブー視され、国民が思考停止に陥っていると思う。
故に、海外で重要視される安全保障や戦争研究と言った軍事学までタブー視し、これを学ぶ教育機関は皆無である。
(言霊の文化?)
未だに「自衛隊から国民を守る」という発想、人事上の懲罰により軍を支配すると言う「文官統制」が罷り通る体制が残り、
軍の本来あるべき軍事専門性を、政治指導者が使えないという歪が存在する様に思う。
故に「国民を自衛隊に守って貰う」・「国民の軍隊」という発想が、国民の間に浸透しない。
本来、「文民統制」とは、国民を守るために「暴力を正しく使う仕組み」のはずなのに。
「救急車が、人を敷き殺したから、救急車を廃止せよ」は、正しい判断だろうか。
戦前の軍隊が、国民を守らなかったから、軍隊は不要だと言うのだろうか?
国民を守るべき軍隊が暴走した理由を検証し、正しく軍を使う事を考えるのが本来の姿では。
(逆説の日本史22 補編)
「平和主義は絶対的な愛の象徴ではあるが、罪を防ぐことは出来ない」といった神学者の
理想を追いながらも現実を見る言葉こそ、今の日本人に必要と思われる。
民主主義国家で国に忠誠を尽くす事の尊さを、愛国心=軍国主義の象徴として洗脳された日本人には、
「自分の国は自分等の血で守る」という、本当の民主主義を理解できず、平和は与えられるのもだと勘違いしている様に見える。
今の日本の米史観的な教育を正さない限り、NHKなどの第4権力に洗脳され続ける国民しか育たず、未来は危ういと感じる。
今を生きる大人の行動が、何世代か後の子供の環境を作る責任を負っていると強く感じた。
民主主義国家の軍隊に対し、米英を参考にしながら日本の現状を分析した良い図書だった...
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図書
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45. 文民統制
自衛隊はどこへ行くのか 纐纈 厚‖著
岩波書店 2005.6
山口の駑馬 さんの評価:
暴力を正しく使うための文民統制なのに。暴力を使わせない文民統制を語る。
基本は護憲で軍隊不要論の立場でしかない。
集団が纏まるには必ず暴力装置が必要な事が判ってない。
今我々が安心な生活を送れているのは、暴力団より強い警察と言う暴力装置があるという現実に目を瞑っている。
暴力団でも話せば判るとでも?
平時と有事が同じ土俵で議論される珍理屈。
日本では内部部局と言う「文民」ではなく「文官」統制。
内部部局に軍令と軍政の権力が集中。統合幕僚長は、3自衛隊を有効に繋ぐ「防衛戦略」が出せない。
此れが出来るようになると、文民統制が壊れたと叫んでいる。この教授大丈夫?
政治が軍事力を「用いて」政治目的を達成しようとする危険性を説き、「非武装による安全保障」を語る愚策論。
他国は日本だけ避けて通ってくれるとでも思っているのか?
「用いる」=戦争では無い。此れこそが抑止力という現実。
軍令と軍政が分かれると戦争になるという戦前の反省?。
しかし、軍令を統括する天皇の資質の問題を棚上げ。
天皇だけは批判できない?。
天皇だから、「賢い」、「戦略家」では無い。もっと賢い人材はたくさん存在する。
この教授の本には、中高生の歴史観しか見えてこない。
戦争は互いの正義がぶつかった外交の一つ。
互いが大儀を立て戦う。
勝ったから大儀が正しかった、負けたから大儀が間違っていたでは無い事は自明。
戦後、大東亜戦争と呼ばず、太平洋戦争と呼んで教育される。
大東亜と呼べば、漢字から日本の大儀が見えてしまい、隠さねば・・・米史観。
戦後アジアで独立できてないのは、内モンゴル、満州、ウイグル、チベット。
今なお支那人の植民地になっている現実が見えてない。
多様な立ち位置で歴史を見なければ、現在を正しく分析できるはずもない。
ばかばかしくも、一読してみれば面白い。
暴力を正しく使うための文民統制なのに。暴力を使わせない文民統制を語る。基本は護憲...
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46. 自衛隊失格 私が「特殊部隊」を去った理由
新潮社 2018.6
伊藤祐靖
山口の駑馬 さんの評価:
非常時に、平時の規則を守る自衛隊員。
非常時には、状況により規則を破らなければならない。後で罪を問われようと、自己責任で任務遂行が優先されるのが自衛隊員の役割では。
日々行われるなあなあの訓練を批判。
1999年能登半島事件。不審船を追いかけたときの巡視艇の行動に呆れる。
天才バカボンの様に空に向けてパラパラと撃って威嚇射したと言い、燃料不足を理由に引き換えした巡視艇、日本人が拉致されているかはも知れない状況は無視。自衛艦の筆者は、巡視艇を撃ちたくなった。
自衛艦が不審船を止めたが、訓練も装備も無く、雑誌を巻いて隊員に立ち入り検査を「命令する無念さ」を語る。
相手は特殊部隊の工作員。ただ闇雲に命令に従い、具申をしない隊員達。結果不審船は再び逃げはじめ、誰も死ぬことはなかったが、拉致されたかも知れない日本人は救えなかった。
任務を遂行する能力より、組織に金を持ってくる方が出世する自衛隊。
戦前の軍の官僚化を想起してしまった。
読後、自衛隊には頑張って欲しいと思える本。
非常時に、平時の規則を守る自衛隊員。非常時には、状況により規則を破らなければなら...
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(1人)
47. 阿川弘之自選作品 1, 雲の墓標
新潮社 1977.9
阿川弘之 著
山口の駑馬 さんの評価:
ふとしたキッカケで、「春の城」を読んでみようと思い立つ。
1949年に発刊されているため、当時の日本人の思いが見えてくる。
戦前から戦後にかけた、普通の士官の生き様が淡々と描写されている。
ただ、戦後の主人公の以下の思いは考えさせられる。
■米の唱える「民主主義」も、其の教える今度の戦争の意味も、戦犯の裁判も、そして諸手を挙げてそれらに賛意する日本の新聞雑誌の論調も素直に受け取る事はできなかった。
⇒歴史教育で教えられる天皇の人間宣言と教えられる「詔書」を全文読んでみると、人間宣言など枝葉末節である事が判る。天皇は、民主主義など明治以降日本にあり、その運用をしっかりしようと国民に呼びかけている事は教えられない。
天皇は神であったと教えられる・・が、この神は、欧米の絶対神と混同して教えられてしまう。当時の国民は天皇も寿命が来れば死にことを知っていた。
■西洋の国がこの何世紀かの間、武器と軍艦と人種的優越感を持って、自らを富ますために太平洋を渡り、ユーラシア大陸を渡りやってきた。日本は、この秩序を破りアジア共栄圏をつくるというお題目で、西洋の猿真似をした。猿真似が裁判の対象なら、本家の行為はを如何裁くのか?。
⇒日本だけがアジアを侵略し、悪い事をしたと教えられる。欧米がアジアの民を奴隷の如く扱っていた事は教えられない。
また当時の支那は、傀儡政権しかなかった事は教えられない(蒋介石=米英、西安共産党=ソ連、汪兆銘=日本)、満州と支那の違いも教えない。当時の各国の「大儀の欺瞞」は、ヘレンミアーズの「アメリカの鏡・日本」(1948年刊)に詳しい。
■戦後の虚脱した中で、気持ちをどう立て直すのか・・・。自分たちの戦時中の行為は、なにもかも不正な過りだったのか?本当に憎むべきものは・・・。確かなものは、多くの知人を殺し、20数万の人々を殺した原子 爆弾の炸裂を、平和をもたらした福音として賑やかなお祭り騒ぎにすり替えようとする幾つかの集団に対する憤りの気持ちだった。満2周年で「祝平和祭」という広島駅前に掲げられたアーチ・・・本当に、平和際なのか?
⇒原爆碑の碑文を読むたびに違和感を覚える人がいるため、広島市は、わざわざ解釈を開示する。生き残った者が死者に誓うには「平和への覚悟」が必要なのに・・・書かれてないから?。
民間人を狙った殺戮など、民主主義、正義と言う名で行われた勝者のホロコースト。敗者のホロコーストはドイツにある。
史実に多様な見方が存在する事を教えない、今を生きる大人の責任放棄ではと思ってしまう。
ふとしたキッカケで、「春の城」を読んでみようと思い立つ。1949年に発刊されてい...
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48. 暗号名スイス・アカウント
新潮文庫 ポール アードマン‖著 山本 光伸‖訳
新潮社 1993.4
山口の駑馬 さんの評価:
ヘレンミアーズの「アメリカの鏡・日本」やルトワックの「日本4.0」などを読むと、我々が受けた近代史が、如何に米史観に犯されていたものかに気づかされた。
インディアンを殺して土地を奪い、黒人を連れてきて奴隷にし、戦前に中国でトルコアヘンで大儲けし、キリストが許したと豪語する国民に、彼らの地図の果てにある日本人のために血を流すとは思えない。
資源も土地も少ない日本が、今後、従属的な同盟から独立し、どんな国際戦略を子孫に残すかべきか・・。
一つの実例として、第二次大戦中に力の無いスイスが独立を保つために、何をしていたのかに興味が起こり、この小説を手に取る。
驚いたことに、小説と言うより原典がしっかりしたノンフィクションに近い話だった。
改めて情報に関わる人材の育成が、小さな国の生命を左右する事を痛感する。まさに現在のイスラエルを想起してしまう。
訳者あとがきでは・・
日本では、スイスの永世中立というイメージだけが独り歩きし、こちらが勝手に中立を宣言すれば、周りの国々がそれを尊重して、避けて通ってくれるという幻想を抱いている。
ドイツと連合軍に挟まれたスイスは「自国の生存」のためになりふり構わず政策をとった事が書かれている。これを卑劣とみるか当然と見るか・・
まさにその通り。
米の核の傘に守られ、冷戦の風も感じない温室の中で「自分が何もしなければ、相手は何もしてこない」という幻想を育み、”非核都市宣言”などで厚顔無恥を世界に晒す。
ソ連の崩壊による米のグローバリズムの展開、この中での中国の軍事的な台頭による米の極東での相対的なパワー低下という現実。
この現実を真摯に受け止めず、今なお温室で育んだ楽観主義が新聞や地上波TVやコメンテーターに蔓延る。
この現実に目を瞑り、米が日本の為に血を流してくれるという幻想の上に戦略を立てても「砂上の楼閣」でしかない。
子孫の為に残すべく現実的な戦略を練るのが、今を生きる大人の覚悟と責任と痛感する。
ヘレンミアーズの「アメリカの鏡・日本」やルトワックの「日本4.0」などを読むと、...
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49. 紫禁城の黄昏 上
完訳 R.F.ジョンストン‖著 中山 理‖訳 渡部 昇一‖監修
祥伝社 2005.3
山口の駑馬 さんの評価:
1934年に発刊された。溥儀の教師であったスコットランド人が著者。当時の背景が、当時の目線で、支那に何が起こっていたかが良くわかる。
現在の我々が、歴史教科書では飛ばされてしまった重大な事実が、ここにはある。
日本は溥儀に裏切られたため、この本は東京裁判では採用されなかった。
溥儀の裏切りに、弟は兄に憤慨した”関東軍が我々を利用したが、我々も関東軍を利用したではないか”と。
支那は満州帝国の一部に過ぎなかった。蒙古の首領たちは満州が支那を征服する際に支援し、支那征服は共同の勝利と考えていた。
故に満州皇帝に忠誠を誓っているだけであり、国民政府に忠誠など誓うはずもなかった。
辛亥革命の後、溥儀は父祖の地に帰れば、清帝国又は満州帝国は存続しえた。
辛亥革命の時、清軍の袁世凱の裏切りにより清帝国は滅び、国民政府が誕生した。が、
国民政府は、支那国民にとっては無政府で治安の乱れをもたらした地獄でしかなかった。
農民であった多くの国民は君主制=秩序であり、国民政府=無秩序と感じており、何度かの君主制復活の兆しを歓迎していた。
少なくとも君主制も良くは無いが、国民政府の悪政はその何十倍も酷いと感じていた。
この本を読んでいると、支那の混乱、満州帝国が出来たのち、人口が大幅に膨れ上がった理由も良くわかる。
国民の本音は、どんな政府でも良かった。秩序と安心を保証してくれる政府であれば。
アメリカの鏡・日本という本によれば
中華民国を名乗る中央政府とは、ただ単に、欧米列強が認めただけの、実質、英米の利権を保護する傀儡でしかなかった。
国内では認める者は少なく、軍閥が各々の地域を治めていた。
満州帝国は、日本と他のいくつかの国も認めたが、英米が認めなかったので、侵略、傀儡政権とされ非難され連盟を脱退した。
即ち、日本は列強では無かったという事に、日本はショックを覚える。
同じ行為をしても、欧米列強は国際秩序を守ったと言い、日本がやれば国際秩序を破り侵略したという。
故に、日本は満州帝国に対し治外法権を放棄し、日本人にも課税するなどの不平等を放棄した。
この行為は、列強のアジア植民地利権を脅かす行動となってしまった。
これ等を読めば、日本の歴史教科書の極東近代史が米国史観の目線でしかない事が良くわかる。
即ち、アジア、日本の目線からの事実が教科書の中から排除されている。
1934年に発刊された。溥儀の教師であったスコットランド人が著者。当時の背景が、...
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(2人)
50. アメリカの鏡・日本 抄訳版
KADOKAWA 2005.6
ヘレン・ミア−ズ 伊藤延司
山口の駑馬 さんの評価:
1948年刊行の1,4章を除いた抄訳。マッカーサーが訳本を禁止した本。
日本を戦争の罪で罰するアメリカの”根拠”は、その時まで欧米列強がやっていた事と同じ。
日本は欧米列強に学び同じことをしただけなのに。ここには、欺瞞の大儀は欧米には許されるが、アジアの日本には許されないという自己矛盾を含むが、米国民は誰も気づかない。
むしろ、欺瞞の大儀でも、日本の方が遙かにアジアの為のものであったのに。
読むごとに目から鱗が落ちる正直な事実が書かれている。
テーマは、日本を犯罪人として裁こうとする米国の根拠は何処に存在するのか。
①1943年12月1日 カイロ(Fルーズベルト、チャーチル、蒋介石)
”・・・3大連合国は日本の侵略を抑え込み懲罰するために、この戦争を戦っている”
②1945年7月26日 ポツダム(米大統領、英首相、中華民国政府主席)
”・・・日本が従わなければ即時かつ完全な壊滅しかない”
③1945.年10月16日 占領軍司令官マッカーサー
”・・・・日本軍部の傲慢さは、いまや追従と恐怖に代わった。・・・そして降伏条件が彼らの重大な罪を懲罰するため科され、恐ろしい報いに震え慄いている”
此処に出てくる、”日本の侵略”、”日本の重大な罪”、”日本の完全な壊滅”、”日本軍部の傲慢さ”、”罪の懲罰”と呼んでいる内容で本当に日本を裁けるのか?。
まさか、西欧列強や米がやっても罪ではないが、日本がやれば罪になるとでも思っているのだろうか。
戦後米とソ連の対立が始まり、歴史は繰り返している。プレーヤーが替わりながら。そこには、現地住民は存在しないかのように。
この本を読むと、日本の戦後の歴史観は、明らかに米国史観に犯されている事が判る。
アジアの目線で、日本の目線で、極東近代史を見直せば、国際秩序も広い視野で見る事ができる。
読みながら、2018年の今を見ると、極東情勢の歴史は繰り返しているなと感じる。そして人は歴史に対し神となるが、これから先は神には成れず翻弄される。
合わせて読みたい1934年発刊の紫禁城の黄昏(完訳版)。当時の背景が、当時の目線で、支那に何が起こっていたかがわかる本。
1948年刊行の1,4章を除いた抄訳。マッカーサーが訳本を禁止した本。 日本を戦...
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堀武昭 著
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井沢元彦
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文藝春秋 2017.10
貸出可能
岩波書店 2005.6
貸出不可(未所蔵)
伊藤祐靖
貸出不可(未所蔵)
阿川弘之 著
貸出可能
新潮社 1993.4
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祥伝社 2005.3
貸出不可(未所蔵)
ヘレン・ミア−ズ 伊藤延司