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レビュー一覧 (52件)
ブルーツ・リーさんの投稿レビュー/飯能市立図書館
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21. 知りたくないけれど、知っておかねばならない原発の真実
小出 裕章‖著 MBSラジオ「たね蒔きジャーナル」‖聞き手
幻冬舎 2011.9
ブルーツ・リー さんの評価:
案外まともな内容でびっくりしました。
著者は思想的に偏った物の見方をする人物なのですが、
事故直後の発言内容を精査すると、案外的を射ています。
事故直後は国民が馬鹿でしたから。
原発の周囲が汚染されているにも関わらず、
メルトダウンが起きていない。
などと言う、理性的に考えれば絶対にあり得ない東電や政府の説明を鵜呑みにし、
なんでそんなに騒いでるの?というような反応も多かったです。
著者は事故直後から、メルトダウンはすでに起こり、
恐らくは圧力容器の底は抜け、格納容器の底何メートルかで固まっている、
という趣旨の発言をしています。
この発言で不安を増長させないでよ!みたいな発言を繰り返していた人もいたようですが、
これは客観的に事実を見れば、事故から1か月も経過すれば、
誰でもが本気で考えればたどり着ける知識です。
ですので、著者が語っている内容のほとんどは、
その思想的な偏りにも関わらず、極めて正確と言っていい内容です。
気になったのは、1ミリシーベルトの被ばくでも、癌の発生率が高まる。
と発言している点。
これは、科学的根拠が一切ありません。
仮にも科学者の一員なのですから、1ミリシーベルトの被ばくで、
癌の発生率が高まるというのならば、
その科学的根拠となるデータを示さなければなりません。
もし年間1ミリの被ばくで癌が増えるのであれば、
CTスキャンなんて、癌発生器みたいなものです。
CTは、数十分の検査で、数ミリシーベルトから、多い場合、10ミリシーベルトを超える被ばくをします。
ですから、年間1ミリの被ばくで癌の確率が高まるとしたら、
CTを受ければ確実に癌の確率が高まるという話になってしまいます。
また、年間100ミリシーベルトの被ばくを受けた場合の癌の発生確率。
こちらは科学的根拠に基づいた数字で、癌の発生率が0.1%上がります。
つまり、仮に著者の1ミリの被ばくでも癌の発生率が高まる。
と言う見解を受け入れるにしても、どんなに放射性物質が頑張っても、
0.1%以上の癌の発生率の増加はあり得ません。
というか、0.00000001%の増加とかそんな話では、
被ばく以外の癌の発生要因に大きく影響されてしまうので、
どんなに頑張って科学的根拠として数字を出そうにも、
科学的には出しようがありません。
恐らく、著者の脳内で勝手に導き出した結論だと思われます。
また、「放射性物質」と「放射線」と「放射能」は全く違う事柄です。
にも関わらず、著者はあえてそれらを混同させて使っています。
これも、言葉には厳密であるべき科学者の姿勢としては問題があるでしょう。
2点、大きな瑕疵がありましたが、それでも、事故直後の発言内容に関しては、
事故直後の政府や東電の発表より、遥かに現実に近い内容の発言をしていました。
その点は、大いに評価されていいのではないでしょうか。
案外まともな内容でびっくりしました。著者は思想的に偏った物の見方をする人物なので...
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22. 近代美術の名作150
美術出版社 2013.4
美術手帖 編, 北澤憲昭 監修
ブルーツ・リー さんの評価:
ちょっと私の視点と、本の監修者の視点が違うかな。
という印象を受けました。
私が重視するのは、作品に込められた、深い意味です。
それは、古来からの伝統に基づく、色彩や物体に対する固有の意味であったり、
芸術家が表現したかった事柄であり、
その絵に映し出されている世界の断面はどのようなことであるのか、
と言ったところであったり。
この本はひたすら、絵画の技術的な側面、
及び、絵画がどのような歴史的背景で描かれたのかを中心に解説しています。
でもそれは、絵画にとって、いちばん大切なことではないはずです。
表紙の絵ならば、近代的なもの。橋や、電信柱の影が描かれていますが、
それらが何を表現しているのか、が、一番大事な事柄です。
電信柱や橋は、元来からある自然。
この作品で言うならば、土くれ。まるで地面がせり上がったように映る地面。
つまり、人がいくら電信柱を立てようとも、橋を建設しようとも、
自然の力はそれらをたやすく捻じ曲げるだけの力があるのだ!
とする、作者の意図が強く感じられます。
それらの点に言及せず、技術的、歴史的背景に終始するのでは、
本当の意味で作品を見たことにはなりません。
せっかく近代芸術に触れるためのきっかけになる本なのですから、
正しい物の見方をも、しっかり提示して欲しかった。と強く思いました。
ちょっと私の視点と、本の監修者の視点が違うかな。という印象を受けました。私が重視...
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23. ビジュアル図解心理学 ゼロからわかる!
KADOKAWA 2013.10
植木理恵
ブルーツ・リー さんの評価:
心理学について、特段専門的な知識は無いつもりだったのですが、
意外にも、この本の内容くらいは知っていることが発覚しました。
ただ、それは弱点ではありません。
むしろ、一般教養としての心理学としてならば、
このくらいで十分。
しっかり心理学を学問としてやりたいのならば、
心理学部のある大学へようこそ!って話なんだと思います。
専門的では無いとはいえ、それでも概論的には十二分に書かれています。
心理学史、発達心理学、精神的な病気と、その治療に生かせる心理学的アプローチについて、
主に詳しく述べられているように思いました。
心理学を知らないところから、という本書のコンセプトからは、
まさに、「ちょうどいい」難易度の本だったように思います。
本書からは少し離れますが、
しかし精神疾患に対する、心理学的アプローチは激弱ですね。
例えて言うならば、内臓に疾患があってメスを体に入れたい、
しかし現在のメスでは、皮膚にすら達さず、表面の皮を剥ぐのが精いっぱい!くらい。
全く精神病理の表層にも届かないだろうな、と思いました。
箱庭療法とか、しょぼすぎます。
それだったら私は、シムシティ療法を提案します☆
シムシティで街を作って、その街の形から、心理面にアプローチをかけます☆
できるわけあるか~!
って、言われちゃいそうですが、
箱庭も、私に言わせれば、そのレベルかと…。
カウンセリングなんかの効果が薄いのも、
まだまだ人間は、自分たちの心理を癒す段階には達していないのかも知れませんね。
心理学について、特段専門的な知識は無いつもりだったのですが、 意外にも、この本の...
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24. 世界の歴史 25
アジアと欧米世界
中央公論社 1998.10
ブルーツ・リー さんの評価:
すっごい大衆、庶民の暮らしの視点が多くなりました。
もともとこのシリーズは下からの目線。
支配者からの視点ではなくて、そこで暮らしていた人たちの目線を重視する方針で編まれた本なのですが、
ここに来て、一気にその視点が増えています。
やっぱり、時代が現代にかなり近づいていること。
それに、「アジア」が対象に入ってきたので、
庶民の暮らしを調べるためにも必須である、文献が大量に残っているためでしょう。
シリーズの特色が最も強く出た一冊だと思います。
ところで、イギリスって、ひどいことしてますね…。
三角貿易で、自分たちが茶葉を輸入するために、中国に大量のアヘンを売り続けてます…。
中国人、みんなラリラリになっちゃいます。
植民地化や奴隷政策を世界で率先したのもイギリスだし…。
なんかサッチャー首相の頃、イギリスは植民地化を始めたけど、
終わらせたのもイギリスだ!
なんて威勢のいいこと言ってましたが、イギリスにとって、
植民地経営が行き詰って仕方なく奴隷を解放したという事実があるわけで…。
終わらせた功績を語るのはいいですが、同時に奴隷を使い捨てにしたような現実からも、
目を背けるわけには行かないのではないでしょうか。
近代を見ていくと、どうしても植民地や奴隷に関しては、
現代に直結する問題として、よくよく考えねばいけないな、と感じました。
すっごい大衆、庶民の暮らしの視点が多くなりました。もともとこのシリーズは下からの...
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25. 縄文美術館
平凡社 2013.3
小川忠博 小野正文
ブルーツ・リー さんの評価:
うはは!おもしろい顔~☆
みたいなノリで、かるーく読める、というよりは、見る。楽しむ。
に近い本だったように思います。
詳しく学術的な解説を望むのは難しいのかも知れませんが、
ともかく縄文時代にこんな美術があったんだよ。
ということを知るきっかけレベルならば、
さらっと読めるので、「手に取ってみる」
レベルで読んでみるのもいいかも知れません。
詳しく勉強しようと思うのならば、
もうちょっと学術研究のような本ではないと難しいのかもしれませんが、
「美術館」として、気楽に読む分には、
写真の数も豊富ですし、ふらっと美術館に訪れたような気持ちで読むことができ、
まあ、読んでも損はないかな、という感じ。
もう少し、文章による個々の作品の解説が加わっていれば、
尚よかったようには感じました。
うはは!おもしろい顔~☆みたいなノリで、かるーく読める、というよりは、見る。楽し...
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26. 17歳からの聖書の読み方
世界がわかる歴史教養講座 クリスチアン ニュルンベルガー‖著 清水 紀子‖訳
主婦の友社 2007.12
ブルーツ・リー さんの評価:
17歳から、という題名でしたが、
キリスト教徒にとってならば、
17歳になったらこれくらいは知っておかないとキリスト教徒と呼べないよね。
という感覚で書かれているようで、
日本人で、仏教徒の私のレベルでは、
むしろ、アメリカの17歳の子供に教える内容こそが、
日本人の平均的な30代の人間が世界の宗教について考えたいと思った時、
ちょうどいいレベルだな、という印象を受けました。
たぶんこれならば、全くキリスト教を知らない人にも理解できる内容でしょうし、
同時に、ある程度、キリスト教の基礎知識はあって、
もう少し異文化、異文化の宗教について考えていきたい。
と思った時には、さらに深く理解していくのに、ふさわしい難易度と感じました。
旧約の世界、新約のイスラエル、エジプトのバビロン捕囚。
基本的な知識を得ることができますから、
それこそ日本人の高校三年生がこの本を読んで、
大学で異文化を学ぼうと思った際には、間違いなく良い下地を作ってくれる一冊です。
ともかく、17歳向けに作った。ということが、異文化の異教徒が読んだ際にもわかりやすく、
それでいて、基本的なことはしっかり押さえてくれているので、
下手をしたら大学の参考書に使ってもいいくらいかも知れません。
もし、異文化に触れたいと思われている高校生の学生さんがいらっしゃったら、
この本は、文句なしにおすすめてしたいと思います。
17歳から、という題名でしたが、キリスト教徒にとってならば、17歳になったらこれ...
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27. イスラ−ム教を知る事典
東京堂出版 1999.10
渥美堅持
ブルーツ・リー さんの評価:
イスラーム過激派による邦人殺害事件が起こった現代。
イスラーム教と向き合えばいいのか、真剣に考えなければいけない時が近づいているのかもしれません。
日本に住んでいると、無宗教で当たり前に通ってしまいますが、
世界的に見ればそれは異常事態。
よく言えば宗教に寛容な国ですが、
日本人の感覚としては、「寛容」というよりは、「無関心」に近いと思います。
宗教的なものに近づけば、それだけで危ない人間とみなされる現状。
決して現状の否定ではありませんが、
いつか、宗教を真剣に考えてこなかったばかりに、
国内でとんでもない事件が起きてしまった、なんて事態も十分想定できます。
オウムはカルト宗教だから、で済まされてしまっている部分がありますが、
新興宗教でなかったとしても、世の中にはたくさんの宗教があり、
残念ながら、それぞれの宗教に、過激派、急進派が居るのも、否定できない現実です。
そんなことを考えながら本書を読むと、
「普通のイスラーム(イスラーム教に帰依している人をイスラームと呼びます)」
の人たちの話ばかりで、
過激な考えを持つ人の思想などについては、ほとんど言及がありませんでした。
それは、普通のイスラーム。大半のイスラーム教を信仰される方は穏健です。
何も剣のジハードだ!他の宗教を信じる者は殺してしまえ!
なんてことは考えていないのは間違いないです。
それは、本を読まずとも、世の中にコミットしていれば、誰にでもわかる話。
一部過激派の行動なんて、一般のイスラームからは程遠いのだから、
そんなことは考えなくてもいい、という訳にはいかないのではないでしょうか。
イスラームに対する偏見を無くしていくためにこそ、
イスラームの攻撃的な側面も隠すことなく書としてまとめて欲しい。
そんな思いを強く持ちました。
イスラーム過激派による邦人殺害事件が起こった現代。イスラーム教と向き合えばいいの...
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28. 爪と目
藤野 可織‖著
新潮社 2013.7
ブルーツ・リー さんの評価:
まず確認しておきます。
純文学は、道徳の教科書ではありません。
世間的に正しいことや、読んで心温まる話が書いてあるわけではないのです。
ある方は、純文学とは、下水道の逆流の音である、とおっしゃっていました。
まさにこれこそ純文学だと思います。
下水道というのは、現代日本には絶対に欠かせないインフラ。
にも関わらず、ほとんどの人は、存在することすら忘れてしまっている。
地下に閉じ込め、気持ち悪いものは知らないうちに処分してしまおう。
という、大変便利なシステムです。
しかし、皆が忘れようとも、汚くて気持ち悪いものは地中を流れているのです。
人間の感情も、また然り。
人間の醜い部分。社会で蓋をされて忘れ去られてしまっているけれど、
しかし絶対に存在してるもの。
それに目を向けることこそが、純文学という学問です。
まず純文学を読まれるならば、最低限そのあたりは考慮していただきたいと思います。
それを踏まえ、本作。
「あなた」は痛みを表面でやり過ごす存在。
それはコンタクトレンズのように、表面をこするばかりで、
決して「目」には届かない痛み。
「あなた」は、痛みを決して見ようとしない。
見なければ、痛みなどというものは、存在しないかのように。
「わたし」は「あなた」の不倫相手「父」の娘。
実の母は、恐らくは「わたし」の目前のベランダで倒れる。
もしかしたら、「わたし」による殺人の可能性もあるが、
「事故」ののち、その傷から受ける痛みを隠すために、
ベランダの視界から外れる位置に倒れた母を見えなくするように、
ガラス窓に鍵をかけ、「見ないことにした」
まるで、目(ガラス)に瞼(コンタクトレンズ)を閉じるように。
その「事故」以来、「わたし」はベランダに出ることも、見ることもできなくなる。
「わたし」には、「爪」がある。
「事故」以来、「わたし」は「爪」を噛む行為をやめられない。
それは、「わたし」が痛みを見ないことにするための行為。
それすら。それすらも「あなた」は「見えない=無い」ことにしようとしてしまう。
マニキュアを塗ってやり、ギザギザになってしまった爪を整えてあげる。
研いでしまえば、爪の形は元通り。
マニキュアで綺麗に飾れば、まるでコンタクトに覆われた目のように、
そのマニキュア(コンタクト)の下にある「傷=痛み」は無いことと同じ。
痛みなど、見ないことにしてしまえ!
終盤間近、「あなた」は不倫相手との会話を「わたし」に「見せないために」ベランダに突き出す。
それは、「わたし」にとっては耐えがたい「痛み」
その痛みすら、「あなた」には分からない。
ベランダに出してしまえば、「見えない」見えないものは「無い」かのように。
しかし、ベランダ(目の中)にわたし(爪)が入り、痛みを感じない人間などいるのでしょうか。
「わたし」はマニキュアを器用に剥がし、「あなた」の目の中にねじ込む。
コンタクト(痛みをすべと表面上のみで受け流す行為)を失っている「あなた」
痛み(爪)は容赦なく、あなたの目(痛みを感じることのなかった心)をはじめて傷つける。
あなたは、痛み(爪)を感じる、心(目)を、持っていますか?
まず確認しておきます。純文学は、道徳の教科書ではありません。世間的に正しいことや...
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29. 世界の歴史 24
アフリカの民族と社会 樺山 紘一‖編集 礪波 護‖編集 山内 昌之‖編集
中央公論社 1999.1
ブルーツ・リー さんの評価:
文化相対主義、というものがある。
全ての文化は台頭で、世界のどこの国も平等。
文化に価値はつけられないし、上下なんてありえない。
とする立場だ。
一応理解はできる。理屈として。
ただ、実際問題、それならばなぜアフリカ大陸に世界文化遺産が少ないのか。
この本でも一生懸命頑張って、文化遺産を探したみたいだけれど、
学者の先生が一生懸命探し回っても、
やっぱりアフリカ大陸にはモンサンミシェルはどこにもないのだ。
もちろんアフリカにも文化はある。
ただそれらが、所謂先進国とされる国では、2000年前に通過してきた、
アニミズムの域を出ているものはあまり無い、ということを考えると、
どうしても先進国目線で見た場合、文化的には2000年前と一緒。
という話になってしまう。
人類学を研究している人の間では、アフリカに文化遺産が少ないのはけしからん!
という、あくまで相対的なのだ、という立場の人もいるけれど、
それでも、エジプトのピラミッドは正当に評価され、世界遺産になっているわけで、
別に先進国がアフリカを差別して文化的に劣っている!
と主張しているわけではないと思う。
あとはそれこそ科学を超越したところ、先進国の常識を常識と考えず、
現地の人たちの常識こそが、文化的に優れているんだ!
という主張を本当に覚悟を持ってできる人ならば、
アフリカの文化こそが、本当の文化で、
先進国の文化は金まみれ、キリスト教まみれじゃないですか!!
みたいな主張をすることは可能だとは思う。
個人的には、それでも先進国の意識を捨て去ることはできない。
先進国に生きる者のある意味での呪縛から逃れられていないのかも知れないが、
それでも先進国の生きやすさを享受していながら、
先進国はダメだよね、とは言い切れないように思う。
いくらなんでも、先進国の文学や芸術を捨て、
途上国のような芸術の中でのみ生きる覚悟は、私には無いからだ。
もちろん、途上国の文化は全てダメだよね、という話ではないし、
アニミスムの文化にも、人間が本来持っている温かみのようなものも感じられるのは事実。
この二つの認識のあいだで、揺れ動いている。
文化相対主義、というものがある。全ての文化は台頭で、世界のどこの国も平等。文化に...
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30. 宗教トラブル110番
Q&A しのびよるカルト 110番シリーズ 14 山口 広‖著 滝本 太郎‖著 紀藤 正樹‖著
民事法研究会 1999.4
ブルーツ・リー さんの評価:
宗教と弁護士って、相性悪いなあ、と思った。
そもそも、カルト宗教に入信した人が身近に居たら、
その集団が合法的か非合法活動を行っているかどうかなんて関係なく、
単純に脱会させたいと思うのが人情というものだと思います。
しかし、弁護士はあくまで、法律にのっとって行動する人たち。
そのカルト宗教が触法行為を行っていなければ、
法律に訴えることはできないわけで。
違法かどうかはあんまり関係ないのでは…?
カルト宗教に入信しちゃった人を脱会するには、結局どうすりゃいいのか。
というか、カルト宗教の側も、違法とみなされないように、
触法行為にならないように布教を進めるので、
それこそオウムとか、テロを起こすレベルのカルト宗教でない限り、
なかなか法律の範囲内では救えない人も多いのではないでしょうか。
そもそも、憲法に宗教の自由、布教の自由が明記されている段階で、
宗教に入りたくない!という人の立場は弱いと思われます。
「信教の自由」というからには、
「宗教を信じたい人が信じる自由」を保障するだけではなくて、
「宗教を信じたくない人」に強引な布教をすること自体、憲法に違反している気もするのですが…。
どうも宗教を信じて布教したい人の自由ばかりが優先されてしまっている気はしています。
それはそうとして、この宗教を扱った本を読んで、人生を、人間社会についても考えてしまいました。
つまり、カルト宗教というのは、誰か特定の人物や集団や神「のみ」しか信じなくなるから起こる現象なのではないかと。
これは何も宗教に限ったことではなくて、すべての社会がそうであると思われます。
私は学問に身をささげている者ですが、
学問とて、それのみを信じなくてもよいのではないかと。
学問の唯一の真理を求める動きって、唯一のものを信じるという意味においては、
宗教とも通じる部分があるように思います。
唯一ではなくてもいいのでは?
「すべての物は正しく、しかも同時に全てのものが間違っている」
という姿勢こそ、カルト宗教や唯一のもののみを信じる状態からの脱出につながると思います。
学問の言葉で言えば、「共感と批判的な精神」ということ。
共感するだけでは学問になりませんし、しかし批判のみでも学問にならない。
この姿勢は、学問ではなく、宗教にも通じるのではないでしょうか。
絶対的に正しく、絶対的に間違っている存在。
として、宗教家を見るならば、カルト宗教の教祖を、ただ単に絶対的な存在とは見なくなり、
宗教に関するトラブル自体も減っていくのではないか、と考えました。
個人的な学問に対する姿勢をも考えさせられた一冊でした。
宗教と弁護士って、相性悪いなあ、と思った。そもそも、カルト宗教に入信した人が身近...
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