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避けられた戦争
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双葉図書館 <2811191002>
貸出可 / 新書 / /S/210.6/ユ/  / 帯出可
詳細情報
ISBN 4-480-07321-1
13桁ISBN 978-4-480-07321-1
書名ヨミ サケラレタ センソウ
副書名ヨミ センキュウヒャクニジュウネンダイ ニホン ノ センタク
著者ヨミ ユイ ダイザブロウ
叢書名ヨミ チクマ シンショ
分類記号 210.69
価格 ¥940
出版者ヨミ チクマ ショボウ
大きさ 18cm
ページ数 318p
一般件名 日本 歴史 大正時代
一般件名 日本 歴史 昭和時代
一般件名 日本 対外関係 歴史
一般件名 日中戦争(1937~1945)
抄録 なぜ日本は国際協調を捨て、戦争への道を歩んだのか。日米関係を中心に長年研究を積み重ねてきた碩学が、一九二〇年代日本にとって本当は存在していた「戦争を避ける道」の可能性を掘り起こす。
著者紹介 1945年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。同大学、一橋大学名誉教授。博士(社会学)。著書に「なぜ戦争観は衝突するか」「好戦の共和国アメリカ」など。
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歴史学者の自己矛盾に出会う本
(2020/10/27)
山口の駑馬/山陽小野田市立中央図書館
半藤利一の結論ありきの昭和史と同じ。
p-22 第二次大戦で日本が外国に与えた被害。戦後補償問題が日本の関心事になった1990年代。日本の戦争責任の否定する一般向け昭和史。日本の戦争責任を軽視する事を意図した本は、目的に合わせ史実を選択する。その信条の為に史実を曲げる事は許されない。プロパガンダとなってしまう。

・・・と書かれているが。1990年代と言えば、日本=加害者と言う家永史観=「太平洋戦争」1986刊が日本を覆っていた。
あたかも戦争責任を回避する本は、目的に合わせて史実を選択しているかの様に書いている。だが、戦争責任を書いている本は、加害の事実を書いても、日本が貢献した史実を書いていない。日本の暴力を盛んに書くが、他国の暴力の史実には触れない。

此れこそ、日本の戦争責任という目的の為に、史実を選択している事に気づいてない。
日本=加害者という自分の思考に合わない主張をプロパガンダと言い切る。まさに学問の自由を犯す。

ヘレンミアーズの「アメリカの鏡・日本」1948年刊に書かれた、史実をここに挙げよう。
・1943年。カイロで米英が日本を「懲罰・拘束」し、彼らが「暴力と貪欲」によって奪った領土を全て取り上げる決意を表明した。
⇒解説=蒋介石もいたが、彼はアジアの代表では無く米英ブロックの傀儡でしかなった。
米国民は正義と民主主義の行動として歓迎した。しかし、英・仏・蘭の植民地には、カイロ宣言には含まれなかった。アジアから対日カイロ宣言を読めば、日本の罪状は、彼らが植民地住民に対して暴虐を振るった事では無く、同じ様な暴虐で西洋が確立した植民地体制の現状を揺さぶった事。
・”1944年Fルーズベルトは”アジアの民衆は日本の奴隷になる事を望んではいない”と声明。
⇒解説=全くその通り。しかし、歴史的に見てアジアの民衆を「奴隷にしていた」のは日本でなく、米が同盟を結んでいた西欧の民主主義国である事は無視している。

歴史の景色は、史実を誰の立場で見るかで変わる。
「コロンブスがアメリカ大陸を『発見』」と学ばせる学校教育。しかし、インディアンから見れば、単に彼らが住む土地に辿り着いたに過ぎない。インディアンには史実は無いのか?
史実は色々な立場で見れば、景色(歴史観)は変わる。
此れを知らずして、学問の自由など実現できない。どの立場なら良い、どの立場なら悪いという発想こそ、プロパガンダ。学問を侵している。

一般市民に対する、歴史学者の驕りにしか見えない。学者だけが、「正しい」と。

・p-53 門戸開放・機会均等という経済的な自由競争の主張は、軍事力による領土拡大を目指す「古典的な帝国主義」とは性格を異にする。

後者を「旧外交」と呼び、前者のベルサイユ条約以降を「新外交」と言う区分け。性格を異にする?という勘違い。
戦争が、水戸黄門の様に善悪で起こるという大間違いを犯している。
近代戦争は、常に利益集団同士が話し合いう中で、折り合いがつかず発生する。
外交が上手くいき、戦争回避ができたと言う。が、内実は両者の大きな軍事力の差が厳然と存在し、イーブンに成らない。
故に、アジアは、ずっと植民地だったし、シナも清朝滅亡後、統一政府など無く欧米との交渉も利権の裏返しに過ぎない。

p205 ”満州を中国本土から分離する軍事行動を考えていたと推察される”。此の著者の視点に疑問。
中国本土を支配していたのは、満州族の清朝。清朝が亡びれば、中国本土が、満州族から独立しただけという史実。「満洲分離」という言葉こそ、史実を無視している。支配されていた中国本土と満洲とは元々別な民族の土地であるという事実を忘れている。

防共の砦の日本を潰し、結果共産圏と直接対峙する事になった米。これが戦後の冷戦を生み多くの悲劇を生む歴史を創ってしまった。

戦前に防共としての米との協調の可能性も、当時の米の南米やフィリピンでの実績を見れば、信じられるのか?
大きな力の前に、黙って屈するか、一太刀浴びせるか?。当時を生きた人々の苦悩。
果たして、米提案を受け入れた時、米との運命共同体に成れるのか、何も逆らえない植民地になるのか。当時の排日が渦巻く米、民族平等は否定され、白人至上主義が世界を闊歩する時代。

支那事変を収束できなかった近衛(米の意図?)、南進でなく北進を提唱した松岡を拒否した天皇。統帥権を持つ天皇が、自己の責任を回避し、政府(苦悩する東條)に任せた無茶ブリの責任はスルーする。

全てのタブーを無くし、多様な立場に立ち史実を眺める時が来ている。今を生きる大人が、自ら考え子供たちに残すべき歴史観こそ重要だと感じる。

正義が勝つのではなく、勝った方が正義となり歴史を書く。
此れを学ぶ学校教育、NHKの毎夏のプロパガンダに疑問を持たない。

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