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なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか
祥伝社 2005.5
藤原 智美
∥著
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敷島図書館 <410631402>
貸出可 / 一般300-399 / / /376.1/フ/ / 帯出可
詳細情報
ISBN
4-396-61238-9
書名ヨミ
ナゼ ソノ コドモ ワ ウデ ノ ナイ エ オ エガイタカ
著者ヨミ
フジワラ トモミ
分類記号
376.11
価格
¥1400
出版者ヨミ
ショウデンシャ
大きさ
19cm
ページ数
224p
一般件名
乳幼児心理学
一般件名
児童心理学
一般件名
児童画
一般件名
家庭教育
抄録
「四角い川」を描く、「ひとつ、ふたつ」も数えられない、「三角形」が描けない、「目」をつぶれない、そして言葉が出ずにすぐ「キレる」…。子供たちに起こっている異変を、芥川賞作家が児童画心理学からアプローチする。
著者紹介
1955年福岡県生まれ。明治大学政経学部卒業。フリーランスのライターを経て、「王を撃て」でデビュー。「運転士」で芥川賞を受賞。他に「群体」「ミッシングガールズ」など。
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(2025/03/09)
FILO/飯能市立図書館
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P32 それぞれの専門分野を、すべて精査していくことなど不可能だった。そうした方法は総花的に終わるか、迷路に入って出てこられないかの、どちらかになるものだ。
P103 「母親は一瞬の暴力など、子供はすぐに忘れると思っている。」「けっこう覚えています。大人が考えているより、子どもというのはよく物事を見ている気がします。」
P195 子どもの落書き、お絵かきは言語の発達と密接に結びついている。小学校に入ると、子どもはいつの間にかお絵かきをやめてしまう。幼児期にスタートし、ある時期にぴたりとやめてしまうのは、子どもが言葉を覚えるから。「絵」は「文字」にとってかわられる。
P199 多くのテレビ批判者が勘違いしている。テレビ・ビデオ・パソコン・ケータイは、過去の生活環境に単純プラスされただけではない。それらが加わるたびに、生活そのものがどんどん変化していった。
P214 根本美佐子『眠りと文学』のなかで、ピエール・パシェを援用しながら、活動的な時間の隙間にある「ボーッとしている」ときこそ、そこに自分がある。なにかに意識が集中しているときには、むしろ自分は背後に消える。退屈は一つの知的体験であり、それは頭脳の停止ではなく、本質的な活動の時なのだ。
P215 「一人の世界に沈潜し、人格の統合を行うことが存在のために必要だと考える彼らにとって『休む』ことは、まさに、そのために必要であり、『休む』ことは『働き』『遊ぶ』ことの要になっている」『ヘヤー・インディアンとその世界」
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P103 「母親は一瞬の暴力など、子供はすぐに忘れると思っている。」「けっこう覚えています。大人が考えているより、子どもというのはよく物事を見ている気がします。」
P195 子どもの落書き、お絵かきは言語の発達と密接に結びついている。小学校に入ると、子どもはいつの間にかお絵かきをやめてしまう。幼児期にスタートし、ある時期にぴたりとやめてしまうのは、子どもが言葉を覚えるから。「絵」は「文字」にとってかわられる。
P199 多くのテレビ批判者が勘違いしている。テレビ・ビデオ・パソコン・ケータイは、過去の生活環境に単純プラスされただけではない。それらが加わるたびに、生活そのものがどんどん変化していった。
P214 根本美佐子『眠りと文学』のなかで、ピエール・パシェを援用しながら、活動的な時間の隙間にある「ボーッとしている」ときこそ、そこに自分がある。なにかに意識が集中しているときには、むしろ自分は背後に消える。退屈は一つの知的体験であり、それは頭脳の停止ではなく、本質的な活動の時なのだ。
P215 「一人の世界に沈潜し、人格の統合を行うことが存在のために必要だと考える彼らにとって『休む』ことは、まさに、そのために必要であり、『休む』ことは『働き』『遊ぶ』ことの要になっている」『ヘヤー・インディアンとその世界」