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ウィトゲンシュタインの愛人
蔵書数: 1冊 貸出数: 0冊
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竜王図書館 <1012402291>
貸出可 / 1F西壁/915マ-999 / / /933/マ/  / 帯出可
詳細情報
ISBN 4-336-06657-2
13桁ISBN 978-4-336-06657-2
書名ヨミ ウィトゲンシュタイン ノ アイジン
著者ヨミ マークソン デイヴィッド
著者原綴 Markson David
著者ヨミ キハラ ヨシヒコ
原書名 原タイトル:Wittgenstein's mistress
分類記号 933.7
価格 ¥2400
出版者ヨミ コクショ カンコウカイ
大きさ 20cm
ページ数 321p
抄録 地上から人が消え、最後の1人として生き残ったケイト。彼女はアメリカのとある海辺の家で暮らしながら、終末世界の「非日常的な日常」をタイプライターで書き綴る…。アメリカ実験小説の最高到達点。
著者紹介 1927~2010年。ニューヨーク州生まれ。小説家、詩人。著書に「これは小説ではない」など。
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トイレで読むのに最適な一冊
(2020/08/17)
wata8216/甲府市立図書館
直腸ガンになった内田春菊が、人工肛門をつけたことを実感したときの説話だ。あれは春菊ではなかったかも知れない。
読書魔でもある氏はトイレでも本を読む。だからトイレにも本棚があって、トイレで読むための本が積まれているということだった。いや、どうだったか。「積まれていた」ということは本棚はなかったのかも。本棚があれば「並んでいた」と言うだろう。違うのか。ともあれ、氏は退院して自宅に戻ったあと、入院中にできなかった雑務を一つひとつこなしながら、その一つであったトイレで読む本を選ぼうとしたときに「そうか、もうトイレで本を読むこともないのか」と悟ったのだという。人工肛門が生活に与える変化。氏にとってトイレで本を読むということは、便意が訪れる頃合いを待つことであり、いや、「落ちてくる」といっていた気がするが、氏はそれ故にトイレで読む本には手離れの良さが求められているという話を続けていた。本書はまさに手離れの良い一冊である。
本書のお楽しみには、この先の展開を心待ちにするという部分はほとんどない。断言してもよい。ぼくがこの本のために何かを書くとするならば、この本の面白さを伝えるよりも先にすべきことがある。それは読み始めてすぐに怒りだす誰かを予見し、彼、彼女、あるいはどちらでもない誰かのやるせなさに寄り添い、なだめるための文章だ。つまりあなたがいま読んでいる文章がそれなのだが、いやしかしそういう前提条件を差し出すといずれ想起するだろうあなたの怒りがそれよりも早くぼくの文章に向けられてしまうことを恐れつつもぼくはその感情はいずれにしても起きてしまうのだから諦めましょうよ、というようなことを書こうと思う。いや、もう既に書いてしまった。なるほど、伝えるということの難しさがこれだ。しかし安心して欲しい。ぼくは、あなたに伝えることの難しさをぼくがどれほど実感しようともぼくはあなたに対して怒ることはない。世界は対称的ではない。
いかんいかん、大切なことを一つも書いていない。本書がトイレで読むための最適な一冊であるその理由とは、読めば分かるのに、それをどうしてぼくがいまここで説明する理不尽さをぼくは面白いと思う。本書の面白さは、物語そのものにはない。およそ人が考え得る奇抜で天外な最高の物語を読み進めるという楽しみは、たぶん希薄だ。それを求めるのであれば別の本棚を眺めることを勧める。むしろ本書は、読み終えた部分が増えるほどに自分は何を読んでいたのかが気になって、困惑する一冊であるからだ。著者に対する信頼をどうするのか、という類いの本でもあり、それ故に手離れを良くできる一冊でもある。先のことはほとんどまったくと言って良いほど気にならないというのは既にお伝えしたとおりだがしかし物語の読み終えた部分についての理解と解釈が、読むことで揺らいでいくことの面白さが本書の魅力である。読む度に理解がうつろい解釈が変わる。人生みたいだ。過ぎてこその気付き。評価の高い本の書評に「読み進めるのがもったいない」と書かれる本がある。読み進めた物語の情報をフィードバックしながら奇抜で天外な結末を予想しながら読み終えていく面白さ。ぼくはそうした楽しさを否定はしないが、本書はそうしたやり方に対して異を唱え、線を引く。独特なのだ。
そろそろこのつまらない文章も終わりしよう。本書がトイレで読む最適な一冊であるその理由は、本書が、この世界をただひとりで生きる人を描いているからだ。ただひとりだ。声を張り上げて呼びかけても、ボトルに手紙を詰めて海に流しても、砂浜にメッセージを残しても、誰も私を見つけてくれない世界の物語。どこに行っても誰とも出会えない世界の出来事。確かに、スカイツリーのてっぺんから周りを見渡してひとりのヒトも見つけられなかったことを理由にこの世界にいるのは私ひとりだけとの判断の愚かさを指摘するのは簡単だ。しかし、ひとりの著者によって書かれた物語は、言い換えれば読み手を持たない物語でもある。書くという行為は読むという行為でもあるということの自己完結的な面白さが本書にはある。そのことが、察しのよいあなたは既にお気づきのことと思うのだが、本書がトイレで読む最適な一冊である理由であって、つまり、少なくとも日本においては、トイレは概念的ではあるが、世界でひとりきりになれる場所として認知されているその場所で、ひとりの人が食べたものをひとりの世界で排出するその場所で、世界にひとりで生きる人の物語を読むという面白さがある。それは、いまが、いま排出したそれがいつどこで摂取したものかを考える最後の機会であり、かつそれがぼくだけの関心事であるということに似ている。どうだろう?
でも、これは切に願うのだが、トイレに入っているときは扉を閉めて欲しい。ぼくは誰かのその世界を共有したいとは思わないので。

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