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走ることについて語るときに僕の語ること
文藝春秋 2007.10
村上 春樹
∥著
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竜王図書館 <1011661772>
貸出可 / 1F棚20/914.6キ-915ホ / / /914.6/ム/ / 帯出可
敷島図書館 <410741490>
貸出可 / 一般913.6マ-913.9 / / /914.6/ム/ / 帯出可
双葉図書館 <2810891081>
貸出可 / 一般随筆紀行914-919 / / /914.6/ム/ / 帯出可
詳細情報
ISBN
4-16-369580-8
13桁ISBN
978-4-16-369580-8
書名ヨミ
ハシル コト ニ ツイテ カタル トキ ニ ボク ノ カタル コト
著者ヨミ
ムラカミ ハルキ
分類記号
914.6
価格
¥1429
出版者ヨミ
ブンゲイ シュンジュウ
大きさ
20cm
ページ数
241p
抄録
専業作家としての生活を始めて以来、世界各地で走り続ける村上春樹。走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのか? 自分自身について真正面から綴った画期的書き下ろしメモワール。
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ランナーはもちろん、坐禅に取り組んでいる方にもぜひ読んで欲しい。
(2016/02/20)
たけがわ/新ひだか町図書館
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「走る小説家」こと村上春樹氏のランニングに関するエッセイ(いや、そんなキャッチフレーズがあるのか知らないけど)。
ライフワークとしている年1回のフルマラソン出場、さらにそれだけでなくウルトラマラソン(100km)やトライアスロンなど、自分に苦痛を与える長距離競技に出場するなかで感じていることを、小説に負けず劣らずの軽妙かつシックな口調で表現している。
村上氏が走るのは、もともとは健康のためだ。
ただ、20年以上のランナー生活を経て、走ることそのものの価値を見いだしている。
「ただ走る」ことで「無心」を得ている。
これは、禅宗でいう「只管打坐」と同じ発想だ。
「僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。」(第1章)
しかも、村上氏は、「どうしても生じる雑念」についても語っている。
そして、その上で感じ入ったのは、村上氏はその雑念さえも受け入れている、といいうことだ。
「そのような空白の中にも、その時々の考えが自然に潜り込んでくる。当然のことだ。人間の心の中には真の空白など存在し得ないのだから」(第1章)
坐禅に取り組んでいる者にとって、この言葉は自分たちが(坐禅の中で)感じていることを、ものすごく的確に表現しているように思える。
坐っている自身すら存在しなくなることが坐禅の目標のひとつだ。だが、空白になるなんてことはない(できるのは悟りを開いたときだ)。
坐禅に取り組む者が皆、感じていることだ。
だが、こうした「禅的な迷い」まで著した言葉は、坐禅の本では滅多にお目にかからない。
それを、ランナーである村上氏が、表現してくれている。
心が晴れた思いだ。
もちろん、ランナー目線でみたほうが、より得るものは大きいだろう。
走ることについて、新たな視点を示してくれる、全国の「お一人様ジョガー」(いや、そんな言葉はあるのか知らないけど)にもぜひ読んで欲しい一冊。
他にも村上春樹さんの作品のレビューを書いています。
ブクログーたけがわの本棚
http://booklog.jp/users/cascadebook?tag=%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9&display=front
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ライフワークとしている年1回のフルマラソン出場、さらにそれだけでなくウルトラマラソン(100km)やトライアスロンなど、自分に苦痛を与える長距離競技に出場するなかで感じていることを、小説に負けず劣らずの軽妙かつシックな口調で表現している。
村上氏が走るのは、もともとは健康のためだ。
ただ、20年以上のランナー生活を経て、走ることそのものの価値を見いだしている。
「ただ走る」ことで「無心」を得ている。
これは、禅宗でいう「只管打坐」と同じ発想だ。
「僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。」(第1章)
しかも、村上氏は、「どうしても生じる雑念」についても語っている。
そして、その上で感じ入ったのは、村上氏はその雑念さえも受け入れている、といいうことだ。
「そのような空白の中にも、その時々の考えが自然に潜り込んでくる。当然のことだ。人間の心の中には真の空白など存在し得ないのだから」(第1章)
坐禅に取り組んでいる者にとって、この言葉は自分たちが(坐禅の中で)感じていることを、ものすごく的確に表現しているように思える。
坐っている自身すら存在しなくなることが坐禅の目標のひとつだ。だが、空白になるなんてことはない(できるのは悟りを開いたときだ)。
坐禅に取り組む者が皆、感じていることだ。
だが、こうした「禅的な迷い」まで著した言葉は、坐禅の本では滅多にお目にかからない。
それを、ランナーである村上氏が、表現してくれている。
心が晴れた思いだ。
もちろん、ランナー目線でみたほうが、より得るものは大きいだろう。
走ることについて、新たな視点を示してくれる、全国の「お一人様ジョガー」(いや、そんな言葉はあるのか知らないけど)にもぜひ読んで欲しい一冊。
他にも村上春樹さんの作品のレビューを書いています。
ブクログーたけがわの本棚
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