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コロナの時代の僕ら
早川書房 2020.4
パオロ ジョルダーノ
∥著
飯田 亮介
∥訳
(7人)
蔵書数: 3冊
貸出数: 0冊
貸出可能数: 3冊
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竜王図書館 <1012392971>
貸出可 / 2F棚1.窓/ヤングアダルト / / /974/シ/YA / 帯出可
敷島図書館 <410994255>
貸出可 / ヤングアダルトコーナー / / /974/シ/YA / 帯出可
双葉図書館 <2811035977>
貸出可 / ヤングアダルト / / /974/シ/YA / 帯出可
詳細情報
ISBN
4-15-209945-7
13桁ISBN
978-4-15-209945-7
書名ヨミ
コロナ ノ ジダイ ノ ボクラ
著者ヨミ
ジョルダーノ パオロ
著者原綴
Giordano Paolo
著者ヨミ
イイダ リョウスケ
原書名
原タイトル:Nel contagio
分類記号
974
価格
¥1300
出版者ヨミ
ハヤカワ ショボウ
大きさ
20cm
ページ数
126p
抄録
この災いに立ち向かうために、僕らは何をするべきだったのだろう。何をしてはいけなかったのだろう。そしてこれから、何をしたらよいのだろう-。コロナの時代を生きる人々に、イタリア人作家が贈る痛切で誠実なエッセイ集。
著者紹介
1982年トリノ生まれ。トリノ大学大学院博士課程修了。専攻は素粒子物理学。「素数たちの孤独」でデビューし、ストレーガ賞、カンピエッロ文学賞新人賞など数々の文学賞を受賞。
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いずれ忘れてしまうのだからこそいまやっておきたいことについて
(2020/09/14)
wata8216/甲府市立図書館
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COVID-19の流行に躓いてしまったぼくらはそれがまったくの新しい事態であることに気付き、氏は、だからこそただで起きてはいけないと語る(とぼくには感じられた)。
それはどういうことか。まったく新しい事態を前にしたぼくらにできることはそんなに多くないということをぼくらが認め、ではどうしようと考えることの有用性について、換言すれば過去の経験に囚われない自由な着想をぼくらに求めている。
『今、戦争を語るのは、言ってみれば恣意的な言葉遊びを利用した詐欺だ。少なくとも僕らにとっては完全に新しい事態を、そう言われれば、こちらもよく知っているような気になってしまうほかのもののせいにして誤魔化そうとする詐欺の、新たな手口なのだ。(著者あとがき)』
ぼくらは、かつてペストに破れた経験に何かを学ぼうとするその前に、戦争という経験を引き合いにだしてそれに習おうとしている。確かにぼくらは、誰かに挑まれた戦いに勝ったことはあるだろう。でもCOVID-19が流行するいま、僕らが対峙しているのは自然だ。成功体験に酔うことの心地よさを否定はしないが、それは「まさかの事態」が進展するいますることなのか。いまだ勝てたためしのない相手を前に、ぼくらはぼくらが使う言葉に敏感になるべきなのだ。敏感になるということはつまり「考える」と言うことだろう。それはぼくらが最も苦手とすることではあるのだがな、あはは。
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wata8216/甲府市立図書館
それはどういうことか。まったく新しい事態を前にしたぼくらにできることはそんなに多くないということをぼくらが認め、ではどうしようと考えることの有用性について、換言すれば過去の経験に囚われない自由な着想をぼくらに求めている。
『今、戦争を語るのは、言ってみれば恣意的な言葉遊びを利用した詐欺だ。少なくとも僕らにとっては完全に新しい事態を、そう言われれば、こちらもよく知っているような気になってしまうほかのもののせいにして誤魔化そうとする詐欺の、新たな手口なのだ。(著者あとがき)』
ぼくらは、かつてペストに破れた経験に何かを学ぼうとするその前に、戦争という経験を引き合いにだしてそれに習おうとしている。確かにぼくらは、誰かに挑まれた戦いに勝ったことはあるだろう。でもCOVID-19が流行するいま、僕らが対峙しているのは自然だ。成功体験に酔うことの心地よさを否定はしないが、それは「まさかの事態」が進展するいますることなのか。いまだ勝てたためしのない相手を前に、ぼくらはぼくらが使う言葉に敏感になるべきなのだ。敏感になるということはつまり「考える」と言うことだろう。それはぼくらが最も苦手とすることではあるのだがな、あはは。