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インドネシア大虐殺
  • 二つのクーデターと史上最大級の惨劇 中公新書  2596
  • 中央公論新社 2020.6
  • 倉沢 愛子∥著
  • (1人)
蔵書数: 1冊 貸出数: 0冊
貸出可能数: 1冊 予約件数: 0件
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資料の状況
竜王図書館 <1012398929>
貸出可 / 2F棚8/新書 / /S/224/ク/  / 帯出可
詳細情報
ISBN 4-12-102596-8
13桁ISBN 978-4-12-102596-8
書名ヨミ インドネシア ダイギャクサツ
副書名ヨミ フタツ ノ クーデター ト シジョウ サイダイキュウ ノ サンゲキ
著者ヨミ クラサワ アイコ
叢書名ヨミ チュウコウ シンショ
分類記号 224
価格 ¥820
出版者ヨミ チュウオウ コウロン シンシャ
大きさ 18cm
ページ数 4,222p
一般件名 インドネシア 歴史
抄録 1960年代後半、インドネシアで起こった2度のクーデター「九・三〇事件」「三・一一政変」。この一連の事件の裏で市民が巻き添えとなり、残虐な手口で殺戮された。謎多き大量殺戮の真相に、現地調査と最新資料から迫る。
著者紹介 1946年生まれ。コーネル大学大学院ならびに東京大学にて博士号。慶應義塾大学名誉教授。専門はインドネシア社会史。「日本占領下のジャワ農村の変容」でサントリー学芸賞受賞。
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あまり知られていない 1965年頃の話
(2021/03/15)
中務光人/池田市立図書館
  著者は、元名古屋大学教授・元慶応大学教授。
 このレビューを書いている私は、インドネシアのことは無知でしたが、以下のようなことが書かれてありました。
 戦後のインドネシアでスカルノはいち早く独立を主張し、カリスマ性のある存在であった。欧米帝国主義に敵対する反面、東南アジア諸国の他、共産圏諸国とは親密交流をし、また国内ではインドネシア共産党は、スカルノの支持母体であった。1965年・1966年の2度の政変でスカルノ大統領は失脚し軍部に政権を奪われ、少将であったスハルトが 1968年に大統領に就任することになるが、親共産党政権から一転して反共産党政権となる。
 1度目の政変は 1965. 9.30で 9.30事件と呼ばれる。スカルノ大統領の親衛隊が陸軍の将軍を襲い、うち6人を現場あるいは拉致後に殺害。革命評議会を名乗り「国軍による大統領転覆を未然に防ぐため」との声明を発する。この事件は、同日中に制圧され、これを機に軍部はマスコミ等を利用して様々な反共キャンペーンを繰り出す(共産党は「残虐」「やらないとやられる」「イスラームの敵」等というもの)。並行して、軍・官公庁を中心にスクリーニングと呼ばれる思想チェックがはじまる。
これらによって、事件の半月後頃から、共産党員と見なされる人・その家族などが虐殺されていく。
加害者は、ほとんどが一般人だったというが、「咎なし」といういう雰囲気で国内の多くの地域に広がった。この犠牲者は少なく見積もっても50万人。実際は200万人以上かもと言われているが、日本もそして欧米もほとんど報道されていない。頃はベトナム戦争がはじまり、中国では文化大革命がはじまろうとしていた時で、欧米は人権よりも反共産党に重きを置いていたので、アメリカなどは、この虐殺を煽るような方向に動いていたという。
 2度目の政変は、1回目の事件の約半年後の 1966. 3.11 で、3.11政変と呼ばれる。スハルトを中心とした軍部が、スカルノ大統領に「権力移譲」の命令書に署名させ、インドネシア共産党に解散命令、さらに共産党容認派の閣僚らの解任・逮捕と、その時既に極度に弱体化していた共産党と、それを庇護してきた政権をさらに非力化し、翌年~翌々年に、スカルノは大統領の名前も剥奪され、スハルトが大統領に就任する。一連の政変によってスカルノは、命を奪われることはなく、亡命も打診されたそうであるが、本人はそれをよしとせず、幽閉中の1970. 6 病死する。
初めての子を妊娠していた第3夫人のデヴィは、恐らく身の危険を心配したスカルノに促され日本に帰国して出産することになるが、この時の出国が2人の永遠の別れとなる。
 このようにして生まれたスハルト政権は、その後独裁政権を築き、共産党への弾圧を続け、華僑勢力に対しての同化政策を行うが、民主化を求めるデモに屈して 1998. 5 政権を手放すことになる。
 これにかわるハビビは副大統領からの昇格ではあったが、投獄されていた政治犯の即時釈放を行った。
翌年、初めての公正な選挙で誕生したワヒド大統領は、(虐待にかかわった)イスラーム団体 NU の元総裁、かつ創設者の孫であったが、一連の経過を謝罪し、さらに共産党・マルクス主義を禁止する決定を廃止しようとしたが、後者が国民の強い反対デモを招き、2年足らずで降板した。
 スハルト政権の20年余り、共産党員、その家族、さらにそれを疑われただけの人達は偽名を使ったり、配偶者にも身を明かせずだったり・・・という潜伏生活を続けたという。
これらの虐殺の歴史は、2005年に学校の歴史教科書に初めて掲載されるようになったが、2年後には、それらの教科書は回収され、以後記載はなくなったという。

 著者は、多くの先人の研究・資料だけでなく、多くの人達の生の声を聞き取る旅を続けたようで、この頃の実像が見えてくるようで、よい書だと感じた。

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