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一日の苦労は、その日だけで十分です
小学館 2018.4
三浦 綾子
∥著
三浦綾子記念文学館
∥監修
(4人)
蔵書数: 1冊
貸出数: 0冊
貸出可能数: 1冊
予約件数: 0件
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双葉図書館 <2811170725>
貸出可 / 一般随筆紀行914-919 / / /914.6/ミ/ / 帯出可
詳細情報
ISBN
4-09-388618-5
13桁ISBN
978-4-09-388618-5
書名ヨミ
イチニチ ノ クロウ ワ ソノヒ ダケ デ ジュウブン デス
著者ヨミ
ミウラ アヤコ
著者ヨミ
ミウラ アヤコ キネン ブンガクカン
分類記号
914.6
価格
¥1400
出版者ヨミ
ショウガクカン
大きさ
19cm
ページ数
222p
抄録
人間の罪、弱さ、ゆるしを描き続けた作家が遺した、愛にあふれる言葉の数々。知人や北海道のことから、恋愛と結婚、がん告知からの生き方、信仰についてまでを綴る。単行本未収録のエッセイを中心にまとめたもの。
著者紹介
1922~99年。北海道生まれ。元小学校教師。64年、朝日新聞の懸賞小説に「氷点」で入選し、作家活動に入る。著書に「塩狩峠」「道ありき」など。
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丁寧に生きようと思える本
(2019/06/17)
あめんぼう/東温市立図書館
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三浦綾子さんのエッセイ。
タイトルに沿った内容の本というよりは、様々なテーマでもって書かれたものをひとつにまとめたようだな・・・と思いながら読んでいたらやはりそうだった。
今まで別の本や媒体で発表されているエッセイを抜粋したものらしい。
読んでいると途中から涙が出てきた。
それは、知恵おくれの子供の事について書かれた箇所。
その10歳の子供は三浦綾子さんに、
「まんじゅう甘いぞ」
「母さん、今日くるんだ」
と何度も言ったと言う。
それを見ていた友人から後で、その子の母親はもう2年も来ないのに、毎日そう言うのだ、というのを見て涙が出た。
しかも、その話を淡々と書いていて、だから余計胸に迫った。
そんな話や、ご自身の病気の事、死生観、ご主人との関係などについて書かれていた。
まず、最初の話「この夢は誰の計らい」という話を読んで、日々を丁寧に生きようと思った。
それは日頃自分のことを敵視する人間の夢を見たという話で、それに対してこういう事を思えるという心持ちに感心した。
私なら夢占いでも見ておしまいになってる。
そんな何気ない出来事をおざなりにしない。
それは、丁寧に日々を生きているからで、だからこそ感じること、受け取れることがある、そして、その姿勢はどこから生まれたものなのか、というのも後々の話で分かった。
そういった話を読んでいて、この本を読んでいる間だけでも私も心が少し穏やかになれたし、三浦綾子さんという人について今までよりも理解を深くできたと思う。
それが、ああいう作品たちにつながっているんだな・・・と思えた。
心は何故あるのか、という話も印象的で共感した。
『神はどうして私たちに、心というものをお与えになったのか。それは与えられている一切を受け止めるためではないか。善きものも、苦しいことも、思わしくないことも、すべて受け止めるためではないか。病気もまた、私たちには計りしれない大きな知恵によって、なにか意味があって与えられるのではないか。だから病気もまた恵みであるし、幸せなのだ。そういう気がするのです。』
悪い事は見て見ぬふり、いい事、ポジティブな事を心にとどめよう、というのに普段から反発を感じているけど、それはこういう事なのだな・・・と思った。
ただ、こういう境地に生きている間、いけるかどうか分からない。
病気になった時、もう一度この本を読みたいと思う。
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貸出可 / 一般随筆紀行914-919 / / /914.6/ミ/ / 帯出可
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あめんぼう/東温市立図書館
タイトルに沿った内容の本というよりは、様々なテーマでもって書かれたものをひとつにまとめたようだな・・・と思いながら読んでいたらやはりそうだった。
今まで別の本や媒体で発表されているエッセイを抜粋したものらしい。
読んでいると途中から涙が出てきた。
それは、知恵おくれの子供の事について書かれた箇所。
その10歳の子供は三浦綾子さんに、
「まんじゅう甘いぞ」
「母さん、今日くるんだ」
と何度も言ったと言う。
それを見ていた友人から後で、その子の母親はもう2年も来ないのに、毎日そう言うのだ、というのを見て涙が出た。
しかも、その話を淡々と書いていて、だから余計胸に迫った。
そんな話や、ご自身の病気の事、死生観、ご主人との関係などについて書かれていた。
まず、最初の話「この夢は誰の計らい」という話を読んで、日々を丁寧に生きようと思った。
それは日頃自分のことを敵視する人間の夢を見たという話で、それに対してこういう事を思えるという心持ちに感心した。
私なら夢占いでも見ておしまいになってる。
そんな何気ない出来事をおざなりにしない。
それは、丁寧に日々を生きているからで、だからこそ感じること、受け取れることがある、そして、その姿勢はどこから生まれたものなのか、というのも後々の話で分かった。
そういった話を読んでいて、この本を読んでいる間だけでも私も心が少し穏やかになれたし、三浦綾子さんという人について今までよりも理解を深くできたと思う。
それが、ああいう作品たちにつながっているんだな・・・と思えた。
心は何故あるのか、という話も印象的で共感した。
『神はどうして私たちに、心というものをお与えになったのか。それは与えられている一切を受け止めるためではないか。善きものも、苦しいことも、思わしくないことも、すべて受け止めるためではないか。病気もまた、私たちには計りしれない大きな知恵によって、なにか意味があって与えられるのではないか。だから病気もまた恵みであるし、幸せなのだ。そういう気がするのです。』
悪い事は見て見ぬふり、いい事、ポジティブな事を心にとどめよう、というのに普段から反発を感じているけど、それはこういう事なのだな・・・と思った。
ただ、こういう境地に生きている間、いけるかどうか分からない。
病気になった時、もう一度この本を読みたいと思う。