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あぶない法哲学
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竜王図書館 <1012395149>
貸出可 / 2F棚8/新書 / /S/321/ス/  / 帯出可
詳細情報
ISBN 4-06-519377-8
13桁ISBN 978-4-06-519377-8
書名ヨミ アブナイ ホウテツガク
副書名ヨミ ジョウシキ ニ タテツク シコウ ノ レッスン
著者ヨミ スミヨシ マサミ
叢書名ヨミ コウダンシャ ゲンダイ シンショ
分類記号 321.1
価格 ¥900
出版者ヨミ コウダンシャ
大きさ 18cm
ページ数 269p
一般件名 法哲学
抄録 クローン人間の作製はNG? 私には「誰かに食べられる自由」がある? 社会に飼い慣らされないための「悪魔の法哲学」教室。哲学的な視点で法律や常識を批判的に再検討する。青山学院大学法学部での講義をベースに新書化。
著者紹介 1961年北海道生まれ。北海道大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。青山学院大学法学部教授(法哲学)。著書に「哄笑するエゴイスト」など。
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「余計なお世話法案」が不寛容な社会を生む
(2021/03/18)
山口の駑馬/山陽小野田市立中央図書館
煙草を吸うな、健康に注意して生きろ、ゲームをするな・・
「皆が健康で勤勉で勇気があって人に優しい社会」ならば、法律など不要。
法律は「ダメ人間」のためにある。
一億人が皆ヒーローになるために法律があるのではない。考えさせられる事例が幾つか示されている。

ダメ人間に、優等生になるように法律で強制する事は正しいのか?、優等生か否かの線引きの位置は時代や貧富や立場で変わるのでは?と思う。
現代の自分等が考えた価値観こそ時代を超えた普遍の真理だという思い込み。これを公共の正義だと「信仰し」、線を引き、法律を作り、ダメ人間を匡正しようとする。
結果、ダメ人間への強制を生み、此れに反する者は吊し上げ罰しても構わない?。道徳と法律の差が理解できない子供達と同じ?
中世欧州の魔女狩りも、公共の正義だった。当時の人達も時代を超える普遍の正義だと思い、微塵も疑って無かったのでは?
現代から見れば悪習。現代の公共の正義を、未来の人が見れば・・・。
「余計なお世話法案」は十人十色の価値観を受け入ない不寛容な社会を生む。
大衆が正義を成せと法律を作らせ他者に強制する民主主義社会こそ、ヒトラーを生んだのでは?。ヒトラーが独裁を生んだのではない。ヒトラーは、不寛容の範囲を広げただけでは?
あるがまま受け入れ、社会で緩衝するのが多様性のある社会の有り様だと思うのだが・・・これが魔女狩りや差別と言う悪習を断つ手段となるのでは?

「道徳」を何処まで法律にするのか?。考えさせられる問題。道徳とは共存するための相互愛。個々の心の問題であり、他者に強要した途端、道徳ではなくなるのでは?
公共の正義とは、被害予防としてダメ人間を法律で匡正する事ではなく、その引き起こす結果を、如何に被害少なく、社会で緩衝するかという事ではないかと思った。
法律で罪とし幾ら罰しようと、人間の嗜好や欲は終わらない。此れが人間であり、十人十色という自然。
法律を作り罰するとなった途端、この違法と呼ばれる行為は闇に潜み、アルカポネを生み出す。あるルールの下で禁止するのではなく、「何処まで、如何に許す」かが大事か?
闇に潜めてしまうか、明るみに出し社会で被害を小さくすためにコントロールするのか・・・私は後者の社会を子孫に残したい。

NHKやマスメディアが生み出す平等の正義。正義とは・・胡散臭い?。生み出される魔女狩り。
発言の中の一言を刈り取り、「差別者」だと報道し、皆で吊し上げる。
「東北で良かった」で辞任した大臣。「女性の話は長い」でJOCを辞めた元首相。
発言の主旨を報道しないメディア。
発言全体の主旨にも、発言者の普段の行動や人格も知らず関心を持たない人々。刈り取られた言葉一つで非難に参加する。
まさに魔女狩りが再現されている。

平等とは正義だが、万人が納得する完全な平等は存在しない
 ⇒飲み会の割勘は、給与を基準、飲む量を基準、家庭の経済事情を基準。どれを基準にしても不満はでる。
 ⇒一人一票という平等を叫ぶ。株主総会では、持ち株により違うのに。国に対する貢献度、納税額は考慮しない?
 ⇒どの基準で平等を使えば最も平等となるのか?、個々人の持つ属性は一つではなく、程度も違う。故に完全な平等など出来ない。
・不平等に怒り、平等を叫ぶ。不平等には気づき是正せよと叫ぶ。が、自分の平等を叫ぶ結果、他人の平等基準には配慮しない。

「神様のカルテ」で、一つのパンを10人の飢えた子どもに、どう配るか。この本を読みながら考える。
配る者の決断しかない。此れは善悪の問題ではない。
この決断を下す者を、如何に選ぶかの問題。配る者が、その権限を行使し、その結果に対し責任を負ふしかない。当然選んだ者も共同の責任を負う。
10人に配り少なすぎ全員死亡するのか、2人に配り2人のみ生き残るのか?・・・出来るだけ科学的な考慮は必要だが、誰も確実な未来の予測など出来ない。
科学は過去の事象を解明し矛盾なく説明するだけ。その結果としての未来の予測までが常に正しいを保証はしない。
結果は、配った後でないと誰も判らない。配布する者の責任と覚悟でしかない。この権限を持つ者を選べるのが、民主主義の選挙だと思うのだが。

財源が無尽蔵でない以上、全員を幸福には出来ない。如何に配るかを話し合っても、基準は十人十色、全員賛成とはならないのが民主主義社会。此の時、最後に決断する人を選ぶのが選挙。
選挙で責任を与えられた権力者は、独裁だと呼ばれようと、当人が信頼できない者は排除し、信頼できる仲間を作らなければ権限の行使などできない。彼は、結果責任を負う術=選挙を持つ。
責任を負う術を持たない=無責任なNHKやマスメディア報道は正義を振りかざした民主主義の破壊行為と紙一重に見える。

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