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三体 3[上]
死神永生
早川書房 2021.5
劉 慈欣
∥著
(10人)
蔵書数: 1冊
貸出数: 0冊
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竜王図書館 <1012434450>
貸出可 / 1F西壁/915マ-999 / / /923/リ/3-1 / 帯出可
詳細情報
ISBN
4-15-210020-7
13桁ISBN
978-4-15-210020-7
書名ヨミ
サンタイ
著者ヨミ
リウ ツーシン
分類記号
923.7
価格
¥1900
出版者ヨミ
ハヤカワ ショボウ
大きさ
20cm
ページ数
430p
抄録
三体文明の地球侵略に対抗する「面壁計画」の裏で、三体艦隊に人類のスパイを送る、極秘の「階梯計画」が進行。一方、三体文明が太陽系に送り込んだ極微スーパーコンピュータ・智子はたえず人類の監視を続けていた…。
著者紹介
1963年山西省生まれ。発電所でエンジニアとして働くかたわら、SF短篇を執筆。「三体」でヒューゴー賞を受賞。
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現代アート、そしてシン・エヴァと三体
(2021/10/10)
チルダ/菊陽町図書館
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※シン・エヴァンゲリオンのネタバレを含みます。
本書の訳者あとがきでシン・エヴァとの対比がなされていたが、ここでは現代アート的視点からシン・エヴァと三体シリーズを比較してみようと思う。
現代アートとは?と考える際に、かなりの確率で例示されるのがデュシャンの「泉」ではなかろうか。そう、あの適当に買ってきた便器にサインして展示したってモノである。何しろインパクトがあり、バカにされる対象でもあるこのアートだが、歴史的に見た場合これは「レディメイド」なるジャンルを創り出したってとこが凄いとされている。
(注:現物は紛失しているとか、実は作者は違ってたとか面白いので詳細はWikipediaを見てください)
もう少し考察してみよう。現代アートにおいては、観る者に「思考を促す」「パラダイム・シフトを起こす」作品が尊いとされる。この「泉」を観た、あるいは知った者はトイレの個室に入ると「泉だな…」と思うようになるが、まさにこの脳に不可逆のアップデートがなされちゃう感じ、これが「泉」の優れた点であろう。
で、シン・エヴァにおいてはどうか?
およそ国内のオタクは須く鑑賞済であろう2021年10月現在、やれ「壮大な親子ゲンカ」とか「監督の私小説」なぁんて知った風な感想が述べられているが、それはこの映画の一側面でしかないと僕は考える。
恐らくシン・エヴァが史上初めて成し遂げたと思うのだが、この映画は(手法自体は大雑把で乱暴だが)「物語を現実に接続した」事で、唯一無二のパラダイム・シフトを観た者に強制する。結果、映画館を出た僕達は、「あっ、この世界はシンジが救った、その世界そのものなんだ」と認識する(そして泣く)。この瞬間、エヴァの在る物語は、只のアニメーションから、現実世界で発生した「歴史的事実」へとシフトするのだ。
翻って三体シリーズはどうだろう?
シリーズを通して読んでみて、全体としてよくできたSFであることは間違いない。個人的には三体はまぁまぁ、三体2はかなり面白い、三体3は2よりは若干落ちるけれども良く出来ました、うまく風呂敷を畳みましたね(その過程はシン・エヴァと同様に、やや乱暴な所はあるが…)というのが感想なのだが、さてそこに現代アート的パラダイム・シフトはあるだろうか?
在るのだ。
これは三体2で既に達成されているのだが、2まで読了した貴方は、星空を見上げた時にどう思うだろうか。今までは「あぁ綺麗だな」と普通に思っていたところに、ポトリと一滴、墨を垂らしたように恐怖の感情が混じっていないだろうか?
僕はもう無理だ。今後夜空を、恐れること無く見上げる事は無理だろう。
僕の認識は、三体シリーズによって強制的に”シフト”されてしまったのだから…。
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本書の訳者あとがきでシン・エヴァとの対比がなされていたが、ここでは現代アート的視点からシン・エヴァと三体シリーズを比較してみようと思う。
現代アートとは?と考える際に、かなりの確率で例示されるのがデュシャンの「泉」ではなかろうか。そう、あの適当に買ってきた便器にサインして展示したってモノである。何しろインパクトがあり、バカにされる対象でもあるこのアートだが、歴史的に見た場合これは「レディメイド」なるジャンルを創り出したってとこが凄いとされている。
(注:現物は紛失しているとか、実は作者は違ってたとか面白いので詳細はWikipediaを見てください)
もう少し考察してみよう。現代アートにおいては、観る者に「思考を促す」「パラダイム・シフトを起こす」作品が尊いとされる。この「泉」を観た、あるいは知った者はトイレの個室に入ると「泉だな…」と思うようになるが、まさにこの脳に不可逆のアップデートがなされちゃう感じ、これが「泉」の優れた点であろう。
で、シン・エヴァにおいてはどうか?
およそ国内のオタクは須く鑑賞済であろう2021年10月現在、やれ「壮大な親子ゲンカ」とか「監督の私小説」なぁんて知った風な感想が述べられているが、それはこの映画の一側面でしかないと僕は考える。
恐らくシン・エヴァが史上初めて成し遂げたと思うのだが、この映画は(手法自体は大雑把で乱暴だが)「物語を現実に接続した」事で、唯一無二のパラダイム・シフトを観た者に強制する。結果、映画館を出た僕達は、「あっ、この世界はシンジが救った、その世界そのものなんだ」と認識する(そして泣く)。この瞬間、エヴァの在る物語は、只のアニメーションから、現実世界で発生した「歴史的事実」へとシフトするのだ。
翻って三体シリーズはどうだろう?
シリーズを通して読んでみて、全体としてよくできたSFであることは間違いない。個人的には三体はまぁまぁ、三体2はかなり面白い、三体3は2よりは若干落ちるけれども良く出来ました、うまく風呂敷を畳みましたね(その過程はシン・エヴァと同様に、やや乱暴な所はあるが…)というのが感想なのだが、さてそこに現代アート的パラダイム・シフトはあるだろうか?
在るのだ。
これは三体2で既に達成されているのだが、2まで読了した貴方は、星空を見上げた時にどう思うだろうか。今までは「あぁ綺麗だな」と普通に思っていたところに、ポトリと一滴、墨を垂らしたように恐怖の感情が混じっていないだろうか?
僕はもう無理だ。今後夜空を、恐れること無く見上げる事は無理だろう。
僕の認識は、三体シリーズによって強制的に”シフト”されてしまったのだから…。