竜王煙草

 竜王は、江戸時代に山梨県を代表する煙草の産地のひとつです。
 煙草が日本へ伝わってきたのが近世初頭といわれ、はじめに九州地方で栽培され、その後各地へと広がったといわれています。 竜王において煙草の生産が始まった具体的な時期は定かではありませんが、『甲州噺』(享保17年(1733))に「~龍王たはこと申は四十年来作之」と記述があることから寛文・延宝年間(1661~1681)にはすでに栽培されていたようです。
 江戸時代後期の『甲斐国志』附録之五(文化11年(1814))のなかで「龍王 同筋ニ在リ 本州煙草第一品ニシテ且ツ多シ 特(ひと)リ諸州ニ名ヲ馳スル者是レナリ 其ノ色赤黄ニシテ虎斑ノ紋アルヲ佳トス 赤坂ノ畠ニ植ルヲ本土ト称セリ」と紹介され、県内で生産された煙草の中でも和田・小松(甲府市)で栽培された煙草と同等に上級品で生産量も多かったこともあり、他国にも龍王煙草は有名であったようです。また、赤坂台地で栽培されていたものが「本土」と称されていました。
 竜王地区で良質な煙草が生産できたのは、煙草の栽培が気温にあまり左右されず、土壌の排水が良く昼夜の気温差がある内陸の傾斜地で栽培されることが多く、甲府盆地周辺部の扇状地や台地などで多く栽培され、特に赤坂台地の土壌が煙草栽培には適した土地だったからといわれています。 赤坂煙草が江戸や大阪など多くの市場に出回ったのは、甲州道中(甲州街道)など陸路のほか、釜無川(富士川)の水運にも恵まれていたこともあり、江戸や大阪などの市場へ流通が容易にできたことが広く竜王煙草の名を広めたと考えられます。 江戸時代における煙草生産高についての詳細な記録は現在のところ確認されていませんが、明治時代初め頃の県内における煙草生産額の58パーセントが竜王をはじめとする中巨摩郡内で占められるほどになっていました注1。
 また、原七郷(南アルプス市)で栽培されていた煙草も「龍王煙草」と呼称して出荷されていたようです。
 その後、養蚕が盛んになってくると赤坂台地でも養蚕のため桑が植えられるようになり、竜王における煙草の栽培は急速に衰退していきました。
 ※注1:村上直「山梨県の明治前期統計資料について」第5表『甲斐史学』第6号、『明治12年全国農産表』より
 この時期には、原七郷(南アルプス市)で多くの煙草を生産していたためでもある。

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