光照寺薬師堂

 光照寺ははじめ団子新居に真言宗寺院として建立され、永正7年(1510)に武田信虎の命により坊沢川(防沢川)へ移ったといわれます。
 当時、岩森村内を流れる坊沢川の流域には多くの寺院や宿坊などがあり栄えていたようです。
 天正10年(1582)、織田軍が甲斐国へ侵攻した際に坊沢川にあった寺院は焼き払われましたが、消失を免れた光照寺薬師堂は江戸時代はじめに現在の地へ移築されたといわれます。薬師堂の様式は三間四方の宝形造(方形造)で、簡素ですが重厚感のある室町時代後期の特徴をよく現している堂宇であることが判りました。なお、屋根は柿葺形銅板葺ですが、銅板の下には桧皮葺がされ、桧皮を保護するために銅板葺としています。
 昭和44年(1969)に復元工事が行われ、文化価値の高い建造物であることから、昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されました。
 また、薬師堂内にある正面入母屋・後面切妻造の厨子も薬師堂と同時期に造られたともので、附けたりとして併せて指定されています。
現在、檀家をはじめ地域の人々によって大切に保護されています。

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