おみゆきさんについて

「おみゆきさん」は甲州三大御幸祭りのひとつで、釜無川の信玄堤付近で執り行われる川除けの神事で、毎年4月15日に実施されています。
 御幸祭り起源は古く、天長2年(825)に大雨によって御勅使川と釜無川との合流地点で洪水がおき甲府盆地が水害にみまわれたため、国司が奏上し第53代淳和天皇(延暦5年(786年) - 承和7年5月8日(840年6月11日)から一宮:浅間神社(祭神:木花開耶姫命)・二宮:美和神社(祭神:大物主命)(笛吹市)、三宮:玉諸神社(祭神:大国主命)(甲府市)に勅旨が下され、当時、釜無川と御勅使川の合流地点であった赤坂台地の麓(三社神社周辺)で川除けの神事をおこなったのがはじまりといわれています。
 昔は春と秋の2回御幸祭りがされ、春は赤坂台地の麓で、秋には荒川と貢川の合流付近(甲府市下石田にある三社神社(諏訪神社境内))においてそれぞれ神事が執り行われていました。
 武田信玄の時代の頃には、国中一の祭りとなり、公祭として執り行われるようになったようです。
 江戸時代には、十万石の大名行列と同じくらいの規模で渡御がされるようになり、一蓮寺境内において桟敷場が設営され、役人などがそれを見物していたことが記録にも残っています。その後、荒川を渡り、富竹新田村を抜けて竜王村内へ渡御したといわれています。また、三社からの神輿が竜王に到着すると、三社神社氏子総代宅では関係者の休憩所として飲食を振舞い、その家には三社明神旗を掲げていました。現在、2旒が残っており、御幸祭りの歴史のひとつとして市の民俗文化財に指定されています。
 神輿の担ぎ手は、女性の恰好をして「ソコダイ・ソコダイ」と掛け声をかけながら渡御していきますが、女性の格好をするようになった時期は定かではありませんが浅間神社の祭神が女性神であったことから赤い長襦袢を着、花笠に白粉をするようになったようです。また、長い距離を練り歩いてくるため、「目的地はすぐそこだ」という意味で担ぎ手が景気をつけるために「ソコダイ」というようになったといわれています。
 この祭も明治時代になると浅間神社からのみ渡御がされ神事を行っていましたが、平成15年関係者の尽力により三社からの渡御が復活しました。(渡御:ご神霊が神輿・船などでお旅所等に巡幸すること) ただし、交通事情により、現在では各神社から神輿や担ぎ手・関係者は信玄堤まで車で来て神事を行います。

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